森さんのお隣さん


 

 ここらでひとつ、話をしてもいいだろうか。


 いまよりちょっと前になるんだが、景気がまだまだよかった頃のお話。
 駅前もそう店も建物もなく、畑や空き地が目立つその町にふたつの夫婦が隣り合って家を建てた。
 大森さんと小林さん。
 夫婦揃って歳も近くて趣味も合う。仲良くなるのに時間はかからなかった。
 しばらくしてどちらも子供ができた。大森さんちは男の子、小林さんちは女の子。男の子のほうがひとつ上だった。
 両親も仲がいい、とくれば子供も一緒に遊ばせるよね。相性もよかったんだろうね、二人は仲良しになった。
 幼稚園、小学校と上がると空き地にもいろんな家が建った。友達も増えた。それでも二人は仲良しだった。特別だったんだ。
 中学校、先に上がった男の子のほうが「それは変」だと言われるようになって女の子と距離をおきはじめた。思春期というか、反抗期だね。
 女の子は訳がわからず泣いたけど、それからまたどんどんと二人の距離が開いていった。気づけばただのお隣さんさ。
 高校生になって女の子は友達に相談された。男の子を好きになったから橋渡しをしてくれってさ。
 男の子は背が高くて頭もよくって人気者でね、いまではただのお隣さんなのにやっかむひとも多かった。断ったら「本当はつきあってるんでしょ」と言われたりね。
 そうこうしてたら卒業して大学は別々。女の子は専門学校、男の子は県外の大学へ。もうお隣さんでもなくなった。
 卒業してからは住む場所は違うしお互い仕事も別々、たまに親から情報が流れてくる。まあ、そんなものさ。
 大人になった二人はいろんな経験をしてお互い自分のパートナーを見つけた。めでたく結婚することになったんだね。
 さあ、新居をと個々に考えてたら「同居することになったから」と大森さんは家を引き払うことになった。
 小林さんも夫婦で海外に長期赴任だってさ。家が空いたわけ。リフォームして好きなように住みなさいって。
 この頃になると駅前も活気よくなって畑や空き地はマンションやお店になって土地は高騰。そこそこ立地もよくなっていた。いいこと尽くしだね。
 だから若い夫婦がまたお隣さんになったんだ。
 大森さんと小林さん。
 夫婦揃って歳も近くて趣味も合う。仲良くなるのに時間はかからなかった。
 しばらくしてどちらも子供ができた。大森さんちは男の子、小林さんちは女の子。
 え? ループしてるんじゃないかって?
 いやいや、まだまだ話は続くんだ。
 時間があるならもうすこし聞いていくかい。
 今度はちょこっとだけど、具体的にね。


【大森さんちの長男と小林さんちの長女の話】


 大森さんちの長男は背が高い。
 お父さんもお母さんも背が高い。これはもう遺伝だね。
 生まれた時は誰よりも小さかったのに不思議なもので、小学生になる頃にはまわりより頭ひとつ大きかった。
 小林さんちの長女は背が低い。
 お父さんもお母さんも背が低い。これはもう遺伝だね。
 生まれた時は誰よりも大きかったのに不思議なもので、小学生になる頃にはまわりより頭ひとつ小さかった。
 彼らは生まれた時からの幼なじみ。
 同い年で家はお隣さん。
 泣き虫な長男くんはのんびりしている長女ちゃんとよく一緒に遊んでいた。
 だってほかの子はすぐに泣く長男くんをおもしろがっていじめるけど、長女ちゃんは絶対にいじめないから。
 のんびりしている長女ちゃんは泣き虫な長男くんとよく一緒に遊んでいた。
 だってほかの子はせっかちで長男くんと違い、のんびり話していると業を煮やしてどっか行ってしまうから。
 どこか独特な彼らはなんだかんだでいつも仲良く一緒にいた。



「ねー、大森は小林さんと付き合ってるの?」

 高校生になった大森さんちの長男くんは放課後に知らない女子生徒に呼び出された。内心ガクブルだった。
 体は大きくても小心者だからね。そこだけは変わらなかったね。残念にね。

「…え、え、雪穂と? だ、誰が? ぼくが?」


 下駄箱にくまの絵柄の封筒が入っているのに気づいたのは二限目の体育から帰ってきてからで、正直中身を見るのも怖い。
 カッター仕込んであったらどうしようとか「〇ね」と書いてあったらどうしようとか。
 大森くんは筋金入りのネガティブ思考少年だった。頭はよかったんだけど。
 体は大きくても小心者だからね。そこだけは変わらなかったね。残念にね。
 そこで相談したのは隣のクラスで家はお隣さんで幼なじみの小林さん。
 お弁当を食べながら、ため息をひとつ。

「お馬鹿ね。普通にラブレターでしょ。開けなさいよ郁」

「え、え、でも」

「返事を待ってるかもしれないでしょう」

「え、え、でも」

「開けなさい」

 小林さんは小柄だけど、目が大きくて目力があってね。大森くんに無言の圧力をかけて開けさせた。
 おそるおそるハサミで端っこをちょきん。覗けば三つ折りにされた紙一枚。中身はカッターも仕込まれていないし、もちろん「〇ね」とも書いてない。
 なんかカラフルなカラーペンで。なんかやけに丸い字で。

 《放課後、体育館裏で待ってます》

 と、一文だけ書いてあった。差出人は不明。
 大森くんは頭を抱えた。

「し、集団リンチされる…!」

 小林さんも頭を抱えた。
 大森くんの脳裏に浮かぶのはひと昔前のヤンキーだった。あれだよ、盗んだバイクで走り出したりする時代の。
 この学校にそんな人たちはいないからね。もっとまわりを見なよ。
 大森くん、体は大きくても運動神経はからっきしでね。部活は中学も高校も文芸部。泣き虫は治ったけれど本の虫になっちゃった。
 背が高いからってむりやり先生にバレーさせられたりバスケやらされたりした時期もあったけど。黒歴史だよ。双方にね。

「ど、ど、どうしよう雪」

 大森くんは、小林さんに頼る。無意識に。それは小さい頃からずっと。
 のんびりしている小林さんは、それだけほかの子よりも事態を把握するのに長けていた。
 巻き込まれずに観察することが多かったからね。
 それでも今回ばかりは小林さんは開いた口が乾いてしまった。ぱくぱく。

「自分で決めなさい」

 はあ、と小林さんは大きくため息をつくと空の弁当箱を二つ持ってクラスに戻ってしまった。
 なんでも相談窓口から見捨てられた。残された大森くんは絶望した。顔が真っ青になった。
 いままでこうまではっきりと自分でしろ、と言われたことがなかったんだ。甘ちゃんだね。
 やけに明るい紙を見て、とにかくその後の授業中も休み時間も考えて考えて。
 放課後、大森くんはまだクラスに残っていた友人の中本くんにこう告げた。

「一時間以内に戻ってこなかったら…つ、通報してくれる?」

「はあ?」

 いぶかしむ中本くんをおいて、向かうは体育館裏。覚悟を決めたんだね。無駄な覚悟なんだけどね。
 びくびくしながら体育館裏でひんやりとした壁に寄りかかってたらさ、来たのは一人だけ。集団ではなかった。

「ごめんね! 逆に待たせちゃった」

 襟についてるバッジの色から二つ上の先輩だとはわかったけど、大森くんは近づいてくる知らない女子生徒から距離をとった。
 それで、向こうはこう聞いてきたわけだ。顔をのぞきこむようにしてさ。

「ねー、大森は小林さんと付き合ってるの?」

「…え、え、雪穂と? だ、誰が? ぼくが?」

 さりげなく呼び捨てにされていることに気づいたけど、大森くんは抱きついてこようとする腕から逃げるのに必死で言えなかった。

「付き合ってないなら私と付き合ってよ。あんなチビッ子より胸もあるから損はさせないわ!」

「ひっ」

 大森くんは背が高くて、パッと見はすごい強そうに見えるんだよ。
 いや、ね。たしかに力は強いよ。
 だけど振るえるかっていうと、それは無理。特に女の子相手には。
 だからとにかく距離をとろうと腕を振り回しながら伸ばしていたら。

 ちゃりん

「あ」

 黄色い鳥のキーホルダーがついた鍵が大森くんの胸ポケットからするりと地面に落ちた。
 慌てて拾おうとした大森くんより先に素早く拾い上げたのは先輩の女子生徒。
 顔の前でヒラヒラとキーホルダーがゆれる。

「かわいいね! お家の鍵?」

「わ、あ、そっそれぼくの家の鍵じゃないから返して!」

「えー嘘。じゃあこの鍵、どこの家の?」

「雪穂の家の鍵」

「え」

 正確にいうと、小林さんの持ち歩いてる小林さんちの鍵です。
 昼休み、お弁当を食べた場所に落ちていたのを大森くんが拾っていたもの。返すにしても、お隣だからいつでもいいかなと。慢心だね。
 間違ってはいないんだよね。
 間違われる発言はしたけど。

「は」

「は?」

「はじめからはっきり言いなさいよバカー!」

 ばちーん



 その頃の小林さんは、三年の先輩に廊下でまわりを囲まれていた。全員女子生徒。
 こういうのを集団リンチと呼ぶんだよ大森くん。

「なに呼び出されたのに普通に帰ろうとしてるのよこのチビ!」

「スーパーの夕方セールがそこまで迫ってるんです。邪魔しないでください」

 肩掛けのバッグに片手を入れ、スマートフォンで時間を確認しながらのんびりと小林さんは答える。
 小林さんちの両親は共働きでね、家事は長女の小林さんが率先してやってるんだ。
 お弁当も作ってるよ。両親のぶんと、自分のぶん。あと厄介なお隣さんのぶん。

「ふざけ」

「ふざけてませんけど?」

 小柄だけど目力がある小林さんは見上げながら言った。無言の圧力をかけてさ。

「郁が好きなら、本人にどうぞ。わたしにこういうことを意味はありません。大体、よくよく考えてみてくださいよこの構図。
 どう考えてもこれだと先輩方が悪役でわたしが可哀想なヒロインです。可愛いヒロインになりたいなら逆になるように工作したらいかがでしょうか。
 その手間も惜しんだ時点でアウトです。正当法を蹴散らしていきなりこれはないです。邪道にしても二番煎じで味気ない上に馬鹿みたい」

 一気にそこまで言うと、小林さんは若干引いている数名の先輩女子生徒の間をすり抜けていく。
 そのひとりがようやく立ち直って追いかけた。

「ちょっと待ちなさいよ!」

「あ、そうでした」

 先輩に肩をつかまれて振り返った小林さんの手にはスマートフォン。本当は学校に持ってきたら駄目なんだけど。

「いままでの会話、全部録音させてもらってますから」

 また何かあったら、お昼休みにでも流しますね。

 固まった先輩の手を振りほどいて、のんびりと小林さんは下駄箱に向かう。
 小林さんは中学も高校も放送部。この手のことはもう慣れっこなんだ。
 大森くんは知らないけど、小林さんは影でいろいろされてきた。それを自力ではね除けてきたんだ。どこかのヘタレと違って。

「あ、郁」

「あいたたた…」

 体育館裏へとぐるりとまわって、ほっぺたを手の形に赤く腫らして座り込む大森くんを小林さんは遠くから見つけた。
 水道でハンカチを濡らしてから近づくと、ちょん、と小林さんは指先でそのもみじをつつく。

「どうしたの、それ」

「痛! よくわからないけどいきなり叩かれた…」

 なんか言ったな。もしくはなんかしたな。

 口には出さず、小林さんはハンカチを押しつけて大森くんを立ち上がらせると制服についていた土を払った。されるがままの大森くん。
 昔から、こんなかんじ。
 大森くんが怒られて弄られて転けて泣いては泣き止むまでのんびりと待って、お隣の小林さんが助けてきたんだ。
 それは大きくなっても変わらなかった。

「まあ、引っかかれなかっただけよかったわね」

「うーいたたた。そうだった、雪。家の鍵、落としてた」

 先に歩き出した小林さんの横に並んで大森くんも歩き出す。並ぶと身長差が強調されるから、実はひそかに小林さんは気にしていたりする。
 本人には言わないけど。

「あら本当。拾ってくれたのね、ありがとう」

「どういたしまして。スーパー寄るの? 荷物もちならするけど」

 大森くんのいいところはさ、素直で優しいところ。優しすぎるのか柔不断だけど、そこは小林さんがカバーできるからね。

「ふたりなら卵、二パックいけるわね。それならオムライスにしようかな」

 校門を出てすぐの歩行者信号は赤。
 立ち止まって見上げた小林さんと大森くんの視線が合う。

「ついでに今日もいい?」

 大森くんの両親も共働き。帰りが遅くなるときは夕飯は先に食べることになる。
 そういう時は小林さんが大森くんのぶんも作ってくれるんだ。
 オムライスは大森くんの好物で、小林さんも気合いを入れてたまに作る。本人には言わないけどね。
 どこか楽しそうな小林さんを見て、大森くんは首を傾げた。

「今日はなんだか機嫌がいいね」

「そうでもないよ。郁のチキンライスにだけピーマン刻んで入れてあげる」

「うわあ…」

 嘘だけど。
 嫌そうな顔をした大森くんの顔を見て、小林さんは満足して青になった信号を二人で渡った。



 これは余談だけど、二人が買い物から帰ったら家の前で警察が待っていて一騒動になったというのはまた別の話。


【大森さんちの長女と小林さんちの長男の話】


 大森さんちの長女は背が高い。
 お父さんもお母さんもお兄さんも背が高い。これはもう遺伝だね。
 生まれた時は誰よりも小さかったのに不思議なもので、小学生になる頃にはまわりより頭ひとつ大きかった。
 小林さんちの長男は背が低い。
 お父さんもお母さんもお姉さんも背が低い。これはもう遺伝だね。
 生まれた時は誰よりも大きかったのに不思議なもので、小学生になる頃にはまわりより頭ひとつ小さかった。
 彼らは生まれた時からの幼なじみ。
 同い年で家はお隣さん。
 いたずらっ子の長女ちゃんは歌うのが大好きな長男くんとよく一緒に遊んでいた。
 だってほかの子はからかっていたずらするとすぐに泣くか逃げるけど、長男くんは怒ってやりかえしてくるから。
 歌うのが大好きな長男くんはいたずらっ子の長女ちゃんとよく一緒に遊んでいた。
 だってほかの子と遊んでいるよりひとりで歌っているほうが楽しいから。長女ちゃんにはとにかく叱ってたけど。
 どこか独特な彼らはなんだかんだでいつも仲良く一緒にいた。



「志朗! 見てみて新作できたぞー!」

「窓からはいってくんじゃねええ!!」

 小林さんちの長男くんは僅差のタイミングで窓に鍵をかけた。

 中学生になった彼らは帰宅部で、放課後に学校に残ることはまずないんだ。
 だからといって、一緒に遊ぶということはない。
 今日だって大森さんちの長女ちゃんは徹夜して作っていた罠の最終調整のために部屋に引きこもっていた。
 大森さんはとにかく手先が器用でね、見よう見まねでいろんなものを作っちゃう。
 最初はさ、庭先に落とし穴だとか廊下に糸を張って上から軽い物を落としたりだとか簡単なものだったんだけど。
 その最たる被害を受ける小林さんちの長男くんも馬鹿じゃあないから学習する。警戒する。引っかからない。
 大森さんも馬鹿じゃあないから学習する。小林くんに警戒されないくらい、それより複雑なものをと考える。
 そうして自学自習で知識と技術を積み重ねて十年近く。
 大森さんは自分でパソコンの組み立てはおろか、ロボットまで作れちゃう理系少女に成長した。
 なにかしら発明しては、地元の新聞に取り上げられるくらいの有名人になっちゃった。

「いいではないか、こっちがはやいぞ! でな!」

「よくねえよ!」

 大森さんちのベランダと、小林くんちのベランダの距離は大体一メートルくらい。渡れない幅ではないよね。
 安全に渡れるような簡易の折りたたみ用の橋も作ってある。
 あ、ちなみに大森さんの部屋の向かいは小林くんのお姉さんの部屋だから。流石に考えてはあるんだよ。
 まあ、すぐ横が部屋だから意味はそこまでないんだけど。
 小さい頃は互いに遊びに行ってたりしたんだけど。
 最近になって、なんだか大森くんの反応が冷たいと小林さんは感じていた。

「なんでいまさら「大森」になったん? いままで「冴」って呼んでたやん」

「なんでって、おかしいからに決まってんだろ!」

「おかしい?」

 どこがだろう。大森さんは考える。閉め出された窓の前で考える。寒いからものの数秒だけ。

 中学二年生にしては大人びている外見の大森さんは。本当のところは誰よりも子供っぽい。
 中学二年生にしてはチ…小柄な小林くんは。本当のところは誰よりも内心は大人びていた。

「あのな、このままだと大変なことになるんだよ。いつまでも一緒だといろいろと変だろ?」

「お兄ちゃんたち、高校でも一緒だぞ?」

「だからだ、馬鹿!」

 大森兄妹は両親もそうなんだけど、顔立ちが整ってるんだよね。あとどこかしら才能があるもんだから。
 大森さんのお兄さん、ああ見えてずっと学校の主席をキープしてるしね。
 本人たちは無頓着なんだけど。
 当然というか、近くにいる人間はやっかみの対象になったりする。
 小さい頃はまだ良かったんだけど。中学あたりからだと周りはみんな思春期にはいっちゃうから。
 そのせいでお姉さんがいろんな目に合ってきたのを身近で見ていた小林くんは、予防線を張りだしたってわけである。
 しかし、この小林くん。根は素直で優しいものだからひどい言葉を吐くことができない。
 向こうから遠ざかってくれるように、自分が悪く見えるようにするのも手なんだけど。

「馬鹿じゃないぞ! 志朗よりは頭良いもん!」

「馬鹿じゃないならなんで推薦蹴ったんだよ!」

「なんで志朗が知ってんだー!?」

 発明家、しかも美少女とくれば注目されるのが世の中で。
 小学生からなにかと材料や資料を求めてどこかの工場や研究所に顔を出していた大森さんは、中学受験をいくつも勧められたんだけど。
 もしくは留学してみないかとか。きっとスキップできるからと。
 その全部を断って、徒歩十五分の公立の中学校に通っている。

 実はさ、小林くん。スカウトしてきた大人から、大森さんにそれとなくそっちを選ぶように説得してくれないかと頼まれたりもしていたわけだ。
 妙に正義感のある小林くんはそんな卑怯そうなことはしなかったけども。
 それでも、家よりは自由に発明ができるのだからそっちを選ぶと思っていたら。

「だって全寮制だぞ!?」

「それのどこがダメなんだよ!?」

「志朗に罠をしかけられないじゃないか!!」

「どうでもいいことに情熱かけるんじゃねええ!!」

 一応これ「君と離れたくないから!」っていうことなんだけど。
 どうしてかな。ときめかないね。なんでだろうね。
 しびれを切らした小林くんは、カーテンを引いて大森さんがいないものとしていままでやっていた作業に戻った。
 どんどんと音がするが、そこはヘッドフォンをして排除することにする。


 小林くんは、歌が好き。
 歌うのも好きだが、演奏するのも好き。
 小さい頃からピアノも習っていたし、最近だとギターも弾いている。
 なのに部活は帰宅部。合唱部も吹奏楽部もあるのに。
 というのもさ。小林くんの声は合唱向きではないから。

 入学した時にさ、合唱部の顧問の先生が小林くんにこう言った。

「キーが高すぎて合唱だと目立つわね」

 変声期をむかえても、あまり声が低くならなかった小林くんはそう言われるとなにも返せず。
 吹奏楽部は、その合唱部との顧問の先生が兼任だったのでどうにも入りきれなかったのだ。
 それでも歌うのは好きだから。
 今日も電子ピアノとエレキギターを出しては音漏れに注意しながら歌っているというわけだ。

 さて、それから一時間くらいして。

「もういないだろ…」

 ヘッドフォンを耳から外して、おそるおそるカーテンをめくる。いない。
 はあ、と大きなため息を吐いて小林くんは鍵を外した。
 カラカラと開けた窓の先に、なにかが落ちている。
 青い魚のキーホルダーのついた鍵。
 小林くんはその鍵には見覚えがあった。
 大森さんの鍵である。

「げ。落としていきやがった」

 反射的に拾い上げた小林くんは、その時にカチリと音がしたのに気づいた。
 うん。その前に気づくべきだったね。大森さんはイタズラが好き。
 そしていつもならもっと粘るのに、その大森さんは見当たらず。

「上か!?」

 即座に見上げてみるけど、なにもない。金ダライはしかけられていない。
 そのほか、ベランダになにかを仕掛けられていないかを隅々まで確認したけど。
 特にこれってものはない。気のせいだったのかもと。
 気の抜けていた小林くんは、ここで警戒を解いちゃった。

「気のせいか…」

 ばちーん



「あ、ひっかかった!」

 そのまま自室には引っ込まず、小林くんの歌を聞きながらお兄さんの部屋でベッド下をのぞきこんだりブックカバーの中身を入れ替えたりと時間を潰していた大森さんは外でなにかのぶつかった音に気づくといきおいよく窓を開けた。
 お兄さんの部屋の向かいは小林くんの部屋。
 なにか―――大きなブリは帰りに大森さんが罠の為に仕入れてきたもの。
 大森さんに背を向けている小林くんは、ゆっくりとそれを拾い上げた。
 時間差を利用して隣の家から飛んできたブリ。大きなブリ。
 怪我をしないようにと背びれなどの処理は万全だ。

「…冴」

 大森さんは、小林くんの声が好き。
 歌も好きだけど、こうして名前を呼んでくれるのが一番好き。

 本人には言わないけど。

「あとでスタッフがおいしくいただきまー」

「こんの馬鹿冴が!!」

 怒った小林くんの顔を見て、大森さんはようやく満足したそうな。


【小林さんちの末っ子との話】


 小林さんちの次女は背が低い。
 お父さんもお母さんもお姉さんもお兄さんも背が低い。これはもう遺伝だね。
 生まれた時は誰よりも大きかったのに不思議なもので、小学生になる頃にはまわりより頭ひとつ小さかった。
 ただひとつ。小林さんちの次女ちゃんには生まれた時からの幼なじみはいなかった。
 同い年で家はお隣さん。
 そんなお姉さんやお兄さんを見てきたのに。
 自分は、ひとりだけだと。

「つまらないわ」

 そうかい、ごめんね。結構おもしろいと思ったんだけどなあ。
 君のお姉さんとお兄さんたちのお話。若い子に話せる内容って他にもあったかなあ。

「なんでわたしにはおないどしのおとなりさんがいないの?」

 それは…うーん。お兄さんたちもわざと合わせたわけじゃあないからなあ。

「つまらないわ」

 ぷう、とふくれてそっぽを向いていた小林さんちの次女ちゃんは、地面に置かれた私をつついた。

「どうしてあなた、そんなことまでわかるの? まるで見てきたように言うのね」

 そりゃあねえ。長く生きてればいろいろと見えるのさ。

「生きてるの? 生き物なの?」

 どうなんだろうねえ。

 私のように、大事に大事に使われてきた道具には命が宿るんだよ。
 付喪神ってわかるかな。私はたぶん、そんなものだよ
 大森さんちの、家の鍵。それもいまの鍵ではないから、使われなくなって久しいんだけど。
 消えていくのだと思ってたけど。
 いやあ、長生きはしてみるもんだね。
 同じようでも同じでない。
 どうにも似てるのに、人間が変わればちがう結末になるものさ。
 花梨ちゃん、君だってそうさ。
 君には幼なじみはいないだろうけど、それに代わる人間を探せばいいんだよ。

 さあ、帰ろうか。もう日が暮れてしまって、みんなが心配しているよ。

「そうかしら。心配してくれるかしら」

 そうとも。
 私では君の家は開けれないけどさ。

「わかったわ。あなたも返さなきゃいけないからね」

 そうだね。黙って持っていくのはダメだね。
 でもおしゃべりができて楽しかったよ。
 また今度、時間があればまた会おう。

 それじゃあ、どこかで。

 


小説家にな ろう ver

 

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