ちぷち、遭遇。


 

 今日は君を見つけられる一分間。


 九月は特に空模様が不安定な月である。
 朝は晴れていても夕方には雷雨になっていることが多い。
 学校には置き傘、リュックの底には折り畳み傘を入れっぱなしにしているのでいざという時でも安心である。
 余った一本は誰かに貸しているが返ってくるときは返ってくるし、返ってこないときは返ってこない。そこは人による。
 別に安価な傘だし、捨てるならちゃんとした所に捨てろよなとは思うがなにかと買い足す度に姉たちが「貸すな」とうるさく言うのが厄介だ。
「情けは人の為ならず」とか大仰なことがしたいのではなく、濡れないで済むならそれでよくないか。それだけ。
 心が広いだとか、そういうわけではない。
 どちらかといえば短気なほうだ。あまり物事を考えずに行動を起こすので周囲からいさめられる。
 なのでその時もドアが隔てていなければ話しかけていた。
 小動物みたいに黒目がちな目がこちらに気づいた時に。






「ちょ、聞いて聞いて! 超ラッキー!」

 勢いよく教室のドアを開ければ何事だと数人が顔をこちらに向ける。
 そしてそれが俺だとわかると「またか」という風に元の作業に戻った。
 別にハブられているわけではなく、これが通常運転なので気にしない。
 皆、自分と違って真面目なものでなにかの紙を見たり書いたり教科書を取り出したり。
 挨拶もそこそこに席にリュックを置くと汗を吸ったシャツが冷えていく。冷えすぎて寒い。
 外と違い、教室の中はキンキンに冷えていた。壁まで寄って見てみれば設定温度は二十二度。誰だよここまで下げたやつ。
 平均だと思うくらいに上げて近くに座る人間に改めて話しかけた。

「昨日も見て今日も見た! 昨日の朝見てラッキーと思ったら放課後も見た! 今日もいれたら三連続!」

 三連続。これはすごい。
 しかし聞き方が悪かったのか主語を抜かしたのが悪かったのか返答は斜め上だった。

「黄色いナンバーを連続で百回見たら願いが叶うらしいなー」

「緑のナンバー見たらやり直しってやつ。小学生の時に流行ったな、そういや」

 軽自動車だけ見てればいい話だよなーと、そうではない。
 そうではない。
 あ、でも流行ったなそういうの。俺のところは汲み取り車を三回見ると幸せになれる、だった。これを言うと田舎者あつかいされるので言わないが。

「そうではなくて!」

(さかい)うるさい」

 いまのいままで相手をしてくれていた人間、ではなくその逆の真横から参考書が顔面に飛んできた。
 厚さはないが角狙いである。当たった。

「ぐふっ」

「今日の課外は特別に授業に響くテストがあるんだからほかの人間の邪魔しない!」

 容赦なくそう言うのは、まるでどこかのグラビア雑誌の表紙から飛び抜けてきたかのように目立つ、可憐な容姿をした人間だった。
 触るとサラサラふわふわしていそうな染めていない自前の茶色がかった線の細い髪、小さな顔。
 まつげもばしばし長くて目はぱっちり、鼻は高くて小さな口はリップをつけなくても艶々としている。
 声は低くはないが高すぎることもなく、身長は平均に届かないほど。
 これでいて性格は生真面目だが面倒見がよく、気が利いて頭もよいときている。
 名実共に
蓮見ヶ浦(はすみがうら)学園のマドンナ、天使、女神、高嶺の花と呼ばれていた。

 完璧だ。完璧な存在だ。

 だだ唯一、欠点という欠点を除けば。

「だが、男だ!」

「さーかーいー」

 再度、今度は教科書が飛んできた。当たった。






 蓮見ヶ浦学園は男子校である。もう一度言うが男子校である。
 たまにどちらの性別なのかわからない人間も紛れこむようだが男子校である。それも県下一の、中高一貫の進学校だ。
 現役生はほとんど私立大学に進学はしない。国立大学、特に医学部への進学が多いのが特徴である。
 現在の都市部に移転したのは戦後の復興期からでそれまでは郊外にあったそうだ。
 いまでも蔵書や施設はその場に残っているが立地の悪さのためか捨て置かれている状態らしい。

 らしい、というのは俺はあまりこの学園には詳しくないからだ。
 高等学校の半数強が外部受験者で、残りが中等部からの内部進学者である。俺は前者だ。入学してからまだ一年と半年である。
 第一学年に限り、中等部から入学した内部進学生と高等学校から入学した外部進学生は別クラスで編成される。理由は授業の進み方が違うせいだ。
 第二学年からは学力に応じて双方混合したクラス編成となる。

「テストやばー」

 十クラスあるうちの、四番目。二クラスは特殊なクラスなので置いておくとして、上中下の中。ABCのB。
 可もなく不可もなく、というクラスに俺はいる。
 そこそこ内部生もいるし外部生もいるというある意味理想的な混合クラスだ。

「だからあれだけ言ったろ」

 授業は四回過ぎて昼休み。
 掃除の時間も一緒にとられているので結構長い。
 二段弁当を開けたらどちらも白米だった。驚きの白さである。箸もなかった。
 新手のいじめだろうかと一瞬だけ思ったが、二人いるどちらかの姉が間違えたのだろう。父の今日の摂取カロリーが心配である。
 いやいや人の心配よりいまは自分の心配だ。どうやって食えというのか。

「………」

 悩んでいると、無言でコンビニの袋から割り箸を差し出してくるのはノンフレーム眼鏡のよく似合う男である。
 彫像のように無表情で固定されているが、これが通常どおりなので気にしてはいけない。気にしない。
 俺はいまだにこいつの声を聞いたことはないが、いいやつであることに違いはないのである。

「サンキュー
十河(そごう)助かる」

「………」

 さらに自分のおかずもわけてくれようとした。無言である。いいやつだ。
 しかし十河、焼きそばパンから焼きそばをとったらおまえには炭水化物しか残らないから辞退しておくわ。

「いや、元から炭水化物しかなくね!?」

「さーかーいー」

 もう一人いた。
 俺に参考書や教科書を投げつけてきた人間である。偽りの美少女、虚構のマドンナ、男の女神(矛盾している)である。

「いや、だって
高千穂(たかちほ)のことはたまに自分の中でも確認しとかないと」

 だが、男だと。
 俺には特殊な性癖はないし。
 その言葉に高千穂はがっくり頭を下げた。

「おまえは人の話を聞かないよね…」

 よく言われる。
 考えるより先に体が動いているせいなのか、なにかと粗が目立つのである。

「テストのこと?」

「聞いてるならちゃんと返しなよ」

 そう言われても返せるほどの内容は特にないからなあ。
 とりあえず全部埋めたけれど、全部間違っている気はする。
 全体の三割が赤点かもしれないと嘆いていたので今回は特に難しかったのだろう。

「あと、朝の騒いでたやつはなに?」

 教室は掃除で塵が舞うので今日は外階段での昼飯だ。
 高千穂は直にではなく風呂敷を敷いてから漆塗りの重箱を広げて聞いてくる。豪勢だ。彩り豊かだ。
 親ではなく高千穂お手製だというから「なにこいつ女子力すごい」と言うともれなくなにかが飛んできた。ほめたのに。
 しかし結局は蓋の部分に俺用におかずをわけてくれた。結局はこいつもすごくいいやつなのである。

「あ、ほら前に言ってた子! 夏休み前によく朝に見かけてた女の子と昨日の帰りに接触したんだよ!」

「セクハラしたの?」

 違うわい。



 俺の住んでいる家はよくいえばのどか、悪くいえば僻地と呼ばれる場所にある。
 お隣さんは一番近くで歩いて五分。コンビニは三十分、朝の九時から営業し夜の九時に閉まる仕様。たまに店主の気まぐれで開いていない。
 最寄りのバス停は一日一本。二本ではなく。
 ネタではない。行ったら帰ってこれない。しかも平日のみの運行である。
 自動車は一人に一台がデフォルト。田舎では当然だが未成年はそうはいかない。自転車が大事な足である。

「五時に起きてー朝飯食いながら三十分くらい自転車を走らせて、駅に置き場ないから近くの住吉のおっちゃんちに置かせてもらうんだよね。帰りにそこの犬の散歩することが条件な」

 たまにというかほぼ毎日そこの鶏が庭から脱走しているのでその捕獲をしてから始発の電車に乗る。
 これを逃すと次は一時間後である。逃す、イコール朝課外への遅刻を意味する。
 さらに乗り換えること二本。上手く乗り合わせても最短で一時間半は電車に揺られているわけだ。

 当然、その間は暇になる。
 俺は携帯不携帯ならぬ、携帯不所持。
 いまどき持ってないのかと驚かれるが携帯端末は持っていない。
 自宅にいてアンテナが立たない端末を買っても意味がないから買わないというのがいまのところの大きな理由である。
 よって、当初は時間つぶしには本をよく活用していた。すこしインテリぶってみた。
 が、しかしそれには俺的に大きな問題があったのである。

「俺、小さい文字を見てると眠くなってくるんだ」

「致命的だよね」

 しかり。
 降りるべき駅を寝過ごして乗り継ぎ失敗、のようなことが入学して両手で数えられなくなった頃、別の時間つぶしを探さざるを得なくなった。
 時間つぶしといえば手芸である。
 棒編みと鍵編みは一年でマスターした。マフラーを量産するのは飽きた。編みぐるみは任せてほしいレベルだ。
 現在は指編みとレース編みに挑戦中である。
 パズルでは雑誌のスケルトンなどのパズルもしたし、ルービックキューブの効率についても考えたし知恵の輪も複数取り揃えた。
 しかしジグソーパズルは数度でやめた。電車内ではいろんな意味で危険である。ピースを失くすし。
 それでも行きは、乗り継ぐたびに人間も多くなってくるので毎回座れるわけではない。立ちながら手遊びはできない。他になにか手立てはないものか。
 とはいっても、そうすると人間観察くらいしかない。

 そんな中、見かけるようになった子。
 ホームをはさんで向こう側、空いた電車のドアの真向かいに座る女の子。

「本を読んでて、文庫本じゃなくて漫画本なんだけど。最初はその本にツッコミいれたくなってずっと見てたわけ。でも本人のほうを観察しだすとそっちのが面白いのな。まあ、こっちには全然気がつかないんだけどさー」

 一分間の邂逅。
 しかし相手は顔を上げないからわからない。
 そもそも声すら届かない。
 わからない、知らない、触れられない。

 しかし、昨日その事情が少し変化した。
 行きにすれ違うということは帰りにもすれ違うこともある。失念していた。
 昨日は手持ちぶさただった。
 なにも持ってきていない。しかしぼーっとしていたら今回も本気で寝過ごしそうである。
 カバンの底を漁ってなにかないかと探して、見つけたもの。
 柔らかい感触。引き上げる。
 それはぷちぷちと呼ばれる代物であった。

「いや、確かにひとつひとつをつぶしたら時間もつぶれるよ? でも逆にこう…眠くなってきて」

 ぷち。
 …ぷち。
 ……ぷち。

 もう一気につぶしてしまおう。すっきりしてしまおうと邪道、雑巾絞りつぶしを敢行しようとした時である。
 ホームをはさんで向こう側。朝のようにドアの真向かいに座る女の子が確かに俺を止めたのである。
 時間が止まったようなものだった。

「ああいう時って、とっさに何も言えなくなるのな。気がついたらドア閉まっててさー」

 気がつけば逆方向に向かう電車。取り残される車内。
 意気消沈である。二度あるわけではなかろう。
 そう思っていたら今朝。
 空いた席に座る女の子は本から顔を上げた。
 確かに目が合った。
 向こうも自分を認識したのである。

「すごくない!?」

「………」

「………」

 今日の十河は焼きそばパンのみだったので食べ終わるのが異様に早かった。どこからか取り出した本を読みはじめる。
 ブックカバーの中身をちらっと見たが洋書のようだった。俺には読めそうにない。
 高千穂は最後の一口をゆっくり咀嚼したあと、首を傾げて真剣な目をして聞いてきた。

「ストーカーなの? 通報してあげようか?」

「違うし!」

 きちんと話しても伝わらないものは伝わらないものである。
 情熱だけで伝えきれるのは「米を食え!」とか言ってる人間だけだ。世の中はキャラクターが立っていないと受け入れられないものなのか。

「いまのところサボテンに通ってる子だってことしかわかんないんだけど」

 この場合、サボテンは植物のサボテンではなく「おサボり天国」を略してのサボテン、という意味である。楽して卒業できるという隠喩だ。

「秋桜子かー。あそこは学力の幅が広いからなあ」

 高千穂はさらにお菓子を取り出した。もちろん手作りだった。女子力(略)

 秋桜子女学院。
 どんな人間も入学できるし卒業できる、という噂。最後の駆け込み寺というべき学校。
 しかしながら奇想天外な人間を輩出することでもまた有名である。
 いまでも日本のみならず海外で活躍する著名な卒業生は多い。
 水筒を傾けながら高千穂が聞いてきた。

「制服はどっち。白? 青?」

「青のセーラーだった」

 どちらかといえば紺に近い青だ。白の大きな衿のセーラーに白いリボンがついている。
 女の子の制服は色々あって眼福だよな。スカートは短いより標準が一番かわいいと思うのに、なぜあんなにたくしあげるのか。
 男の制服は代わり映えがあんまりしない。
 高千穂は指で自分の衿元を叩いた。

「秋桜子は中等部が白で高校が青のセーラー服なんだよ。右衿に校章、左衿に学年章と組章のバッチが付いてる。学年章は中高とも一年生が橙、二年生が白、三年生が赤の花で組章は学年章と同色でクラスのアルファベットがついてるはずだけど」

「へー」

 あの子はどうだったっけ。たしか花は橙だったから一年生だな。

 しかし、いまはそれよりも気になったことがある。
 おそるおそる聞いてみた。

「高千穂、詳しすぎないか…もしかして制服フェチ? 実はこっそり家で着てたりする?」

 一拍置いて、空の弁当が降ってきた。十河がちらりとだけ視線をよこす。

「なんでそうなるんだよ! 知り合いが通ってるからだよ! 誰かに着せるならまだしもなんで俺が着なきゃいけないんだよ!」

 そうだった。男だった。
 すっごい自然に着こなしそうだと思った。だが、男だった。
 しかし高千穂、その言い方だと着せる趣味はあるのだろうか。






 考えるより先に体が動くのはどうなのだろう。
 思ったところでそれは終わったあとに気づくのだから手の施しようがない。

 ピーッと、音が鳴りドアが開く。
 それは自分が乗るべき電車ではない。
 次の電車は何分後になるだろうか。

「……え?」

 普段は降りないホームに立って、俺は座ったまま固まっている青いセーラー服に身を包んだ彼女に話しかけた。

「こんにちは! はじめまして!」

 まずは、君のことを知ることからはじめようと思うんだ。

 

 


 

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