ずりは


 

 
 ふたつのはずがひとつになって。
 ひとつのなかにふたつがあった。
 ふたつはひとつ。
 ひとつはふたつ。
 ふたつはひとつになってしまった。
 ひとつはひとつになってしまった。


 ぼくたちは、ふたつだった。
 ひとつだったものがふたつになって。
 ふたつになったからひとつをしった。
 あたたかい、たゆたうみずのなかで。
 しばらくふたつはなかよくしていたけれど。
 ふたつがみずのそとへでたときに。
 ひとつがなくなりかけて。
 ぼくはひとつにてをのばして。
 ふたつはひとつになった。




 ぼくには兄がいたらしい。
 らしいというのは、もういないから。
 ぼくが生まれる少しまえにいなくなってしまったそうだ。
 だからぼくのなまえは
準一(じゅんいち)なんだって。

『じゃあ、ボクは
正一(しょういち)だね』

 それだとぼくがニセモノみたいだ。

『どっちもホンモノだろう』

 そうだね。
 どっちもひとつで、ふたつ。
 どっちもふたつで、ひとつ。

 ぼくの中には、兄がいる。

 兄はよく笑ってしゃべる。
 うんどうもぼくよりできたから、ようちえんの友だちとあそんだりお母さんといるときは兄とよくこうたいしていた。
 ぼくはなき虫で口下手だった。
 ごはんをきれいに食べるのと、おもちゃのかたづけと絵本を見るのが好きだったからそのときは兄はねていた。
 
 ぼくと兄はよくにていたけれど、同じではなかったから。

 それでもいいよ。

『それでもいいさ』




 小学生になって。足し算引き算まではよかったけれど、かけ算の七のだんがいえなくなって。
 兄にかわったけれど、兄もいえなくて。
 ぼくのかわりに先生にしかられて、兄がおこった。
 はじめてけんかした。

 ごめんなさい。
 もっともっとべんきょうするから。
 九九をぜんぶおぼえるから。
 わり算もぜんぶおぼえるから。

『かんじもおぼえろよ』




 中学生になった。
 勉強だけは得意だったけれど、人の顔を見て話せなくなっていた。
 そんなときは兄にかわってもらった。

『しかたないやつ』

 仕方なくてごめんなさい。
 どうして僕はこうなのかな。
 僕だけだったら、きっとずっとひとりぼっちで友達なんか出来なかっただろう。
 僕じゃない僕と話す人たち。
 僕だと思っているその僕は兄だ。
 僕じゃないよ。
 兄がいたから、兄だから。
 話しかけてくる人間がいるんだろう。

 ああ、なんであの時。
 死んだのが僕じゃなかったんだろう。




 夕暮れの図書室。
 本を読んでいる時だけがだけが僕の自由時間。
 両親はよく笑っては遊んでばかりの僕を僕だと思っている。
 だから家で本なんて読んでいたらこう言うんだ。

「本なんて読むのね」

 兄は読まないよ。
 僕は読むけれど。

 僕と兄はよく似ていたけれど、同じではなかったから。

 そんなものかな。

『そんなもんだろ』




 親さえ知らない秘密。

 言ってみたらどうなるのだろうか。
 病院に連れていかれるのかな。
 脳かな、精神かな。

 そしてきっとこう言われるんだ。

「ひとつにしてください」

 ふたつもいらないって。
 きっとその時に無くなるひとつは、僕だ。




 高校生になった。
 髪の毛を染めたいって兄が言ったけど、僕は嫌だったから久しぶりに喧嘩した。

 目立つのは嫌だ。

『目立つのは俺だろ』

 違う、違うよ。

 この体は僕のでもあるんだ。

『俺のでもあるだろ』

 そうだけど。
 僕が寝ている間に髪も染めてピアスも開けていた。
 いつの間にか、遊ぶ友達の顔ぶれが変わっていた。
 なにをしているんだ。
 夜に出歩いて、親に言えないことをして。

「なにやっているの!」

 親が僕の頬を叩く。
 怒られる時だけ僕へと変わる。
 これじゃいつかの僕と同じだ。




 学校に行けなくなって、部屋に閉じ籠もって。
 何度も兄を問い詰めても出てこなくなった。

 なにがしたいんだ。

『なにもしたくない』

 親も何も言わなくなったある日、クラスメイトの女の子がやってきた。
 大人しそうな、不良と呼ばれた兄とは、僕とは縁のない子。

 彼女は数冊の本を差し出した。

「謹慎中は暇だろうから」

 顔を上げれないはずの僕は思わず彼女の目を見てしまった。
 すべてを見透すような黒の瞳。

 心臓が大きく鳴った。

 彼女は数日おきに僕の家へと足を運んだ。
 顔が見れない僕は、一言、二言しか話せなかった。
 彼女の選んだ本はどれも僕好みで、お礼の言葉を言いたいのに喉でつっかえて言えなくて。
 それでも、僕は兄に変わってほしいとは言わなかった。
 この感謝の言葉は僕が言わないと意味がなかった。




「わたし、中学校一緒だったんだよ」

 彼女は何度目かの本の受け渡しの時に言った。

「三年ずっと、図書委員をしていたから知ってたよ」

 中学校の図書の本は、いまでも読書カードが一番最後についていて。
 僕は読んだらそこに名前を書いていた。
 読書量はそこまで多くはなかったと思う。
 兄が友達と遊ぶ時間の方が多かったから。

「わたしの好きな本によく書いてある名前見つけて、本人を探してみたらびっくりした」

 そうだろう。
 兄は本を読む人間ではない。
 勉強は僕任せで、遊んでばかり。
 話す女の子もスカートが短くて匂いのキツイ子ばかりで。
 化粧をしていない、この子が話すには遠い人間だったろう。

「雨の日とか、人が少ない日とか図書室で見た時だけ別人に見えた」

 そうだろう。
 だってそれは。

 僕だから。

 いつの間にか、流れ落ちる涙は止まらなくて。
 驚いている彼女にしがみついた。




『俺はおまえになれない』

 僕だって兄になれない。

『わかれよ、俺はおまえになれないんだ』

 よくわからない。

 一面の暗闇。
 これは、きっと、夢の中だ。

『ずっと考えてた。なんでおまえの中にいるんだろうって。小さい頃はよかったよ、好きな時に好きなように交代して好きに振る舞ってさ』

 慣れてきた視界に映るのは自分と同じ顔。
 鏡に向かって話しかけているかのよう。

『役割があってさ。俺もおまえも同等で。でもさ、中学校に上がったおまえは全部俺に押しつけてきただろう』

 だって、周囲は兄を望んでいた。

『俺だってさ、遊ぶのは好きだったしやりたいようにやった。でも結局はおまえのものにしかならない。おまえがやったということにしかならない。この体は俺じゃない。見せつけられてそれがどんなに悔しかったか』

 目の前の兄は、冷たく僕を見つめていた。

『なのにおまえは死にたいと言った。思っていた。俺が欲しいのを持っているくせに捨てようとした。だからそれなら奪ってやろうって』

 俺にしかできないことをやりつくしてやろうって。

『でも、結局この体はおまえのでしかなかった。俺のにならなかった。馬鹿らしくなってお粗末にしてやったらこの体たらくだよ。ざまあねえな』

 兄の体が、煙のように、揺らぐ。
 手を伸ばしても、届かない場所に兄はいた。

『どうでもよくなってずっと寝てた。寝てたら、おまえは、ほんの少しだけ成長してた』

 どこが。

 僕はまだ彼女にお礼さえ言えていない。
 そういえば、僕はどうして兄と対峙しているのだろう。
 ここはどこだ。
 彼女はどこだ。
 言わなくてはいけないことがあるんだ。

『なあ』

 兄が、笑う。
 泣くのを堪えるような表情で。
 それだとまるでいままでの僕だ。
 何も言えずに俯いて、兄に押しつけて、遠くで遠くで僕は。

『生きたいか』

 それはかつて、兄に僕が言ったもの。
 近くの温もりが、消えてしまいかけたからつい手繰り寄せた。
 もともとひとつだったんだから、ふたつがひとつになっても大丈夫だって。

 でも、たぶん、それは。

 兄の姿が消えていく。
 霞む空気に溶けていく。

『     』

 兄は、笑って。小さな言葉だけを残して。
 波紋は水面のように広がって大きな大きな円になって消えていった。




 気がつけば僕は、あの時のまま。
 彼女にしがみついたまま。

 でも僕が、僕だけが知っていることがひとつ。
 僕だけにしかわからないことがひとつ増えた。

 親さえ知らない秘密。

 残すだけ残して、何も持っていかなかった。




 僕はひとつになった。

 


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