黒つける話


 

 ああ、面倒くさいな。



「よう、問題児」

 寝返りをうつと、入り口の向こうに見知った人間が立っていた。

玖珂(くが)

 逆光で顔が見えない。
 大きなあくびをして目を細めた。
 せっかく作業が一段落したから寝れると思ったのに。

「なに」

 転がったままの僕を、呆れたように玖珂が見る。

「なんでジャージ着てんの、おまえ」

 汚れるから。
 制服だとあとで兄が怒るだろうし。
 しかし、ここは暖房もなにもついていないから寒い。
 起き上がりがてら、そこらに散らばっていたダッフルコートを上にはおる。
 玖珂はずかずかと、外靴を脱いで僕のいる武道館に入ってきた。

「朝から教室にいないわ、練習にこないわ、放課後こんなとこいるわでなにやってんだよ」

「いろいろ」

 僕に文句言われる筋合いはない。
 こっちだって、好きでこんなことやってるわけじゃないし。
 できるなら、いまからでも放置したいし放棄したい。
 まぁ、できないからここにいるんだけど。

「また、なにか、やらかしたのか」

 玖珂が顔をしかめてわざわざ区切って言った。
 失礼なやつ。

「まだ、やってない」

「予告すんじゃねぇ」

 勝手に予想したくせに。
 嘘はついていない。
 いまのとこ、予定は未定で不定なだけで。
 僕だって目立つことは避けたい。
 それより眠たい。睡眠不足だ。

「ねむい」

「寝るな」

 うろんな目で僕を見ていた玖珂は大げさにため息を吐き、ネクタイを緩めながら僕の前に座った。

「いいか、卒業式は明後日だ。あと三日なんだ。三日間を静かに過ごせばなにしようがどうしようがおまえの自由だ」

「静かにしてるけど」

 むしろいつもより動かなくなってもう二日。
 学校に来てもここに籠ったまま。
 休みを挟んだので、彼女とは四日は会えていない。

「おまえの言う『静か』は嵐の前の静けさだろうが」

 言いがかり甚だしい。
 あと『嵐の前の静けさ』は気象学的には正しくない。
 実際の嵐は、襲来する前に辺りがいちいち静まり返らない。

「いままでやってきたこと思い出せ人災のスペシャリスト。これ以上、俺にリスマネみたいなことさせる要因をつくるな」

 僕は
危害(ハザード)かなにかか。
 しかしリスクマネジメントって。企業じゃないんだから。

「どっちかというと玖珂はディザスタリカバリじゃないの」

 ディザスタリカバリは、災害などによる被害からの回復措置、あるいは被害を最小限の抑えるための予防措置のことだ。
 リスクマネジメントは経営管理手法になるし。
 それともあれか。

「天候デリバティブでもするつもり」

「意味不明な証券用語を使うんじゃねぇ」

「玖珂が理解できてるなら別にそれでよくない」

 反応できるってことは、わかってるということだろう。

 玖珂は僕が幼稚園に入る要因になった人物で、なにが何故やらいまま途切れずにで付き合いのある悪友の一人である。
 付かず離れず、放っておいてもいつの間にか近くにいたり。いなかったり。
 大きなため息をまた吐きつつ、玖珂は僕の前に一枚の紙を置いた。

「これ。岩戸さんだと捕まえられないから、わざわざ俺が探しに来てやったんだ」

「いいんちょ?」

 そこで、どうしてその名前が出るんだ。
 玖珂は僕とクラスが違うんだけど。
 玖珂はにやにや笑いながら紙を指で叩いた。

「俺、岩戸さんとは一年と二年は同じクラスだったんだよ」

「顔見知りなの」

「いまでもたまに話すんだ。これだって直に岩戸さんから頼まれた」

 驚いた。
 話すのか、玖珂と。
 彼女は人見知りのきらいがある。
 初対面の人間だと話すのも大変なようで、慣れるまで顔を上げてはくれない。
 しかし慣れてくると普通に話すので、別にコミュニケーション障害というわけではないのだろう。
 僕が彼女と話すようになったのはごく最近、ここ数ヵ月だけ。
 彼女の声は高くもなく低くもなく、耳に馴染む鳥の歌のよう。

「ふぅん」

「ふぅんて、おまえ。俺は三年かかったのに…」

 小声でなにやらぶつくさ言いっている。
 変なやつ。
 さっきまで笑ってたくせに。
 機嫌がいいんだか、悪いんだかわからない。
 息苦しいのかシャツの第二ボタンまでを外していた玖珂は、僕の横に置かれた箱を指差した。

「なんだそれ」

 そういえば、出しっぱなしにしてたな。

「オセロ」

 見ればわかるだろうに。
 聞いたのはそこじゃない、と玖珂は箱に手を伸ばした。

「なんでこんなの持ってきてんだよ」

 そっちか。

「遊ぼうと思って」

 時間が余ったら、放課後に彼女を誘おうかと思ったんだけど。
 予想外に拘束されてこの分だと無理だな。

「オセロより、ニップとかテンペストのほうがおまえ向きだろ」

 ニップは円形の板でやる角がないオセロ、 テンペストは四人でやるオセロだ。
 たしかに通常のオセロより多少は頭を使うかもしれない。

「ルールは簡単なほうがいいでしょ」

 彼女相手なら。
 そんなもんかと言いながら、玖珂は箱からオセロを取り出した。
 僕、玖珂とやりたいとは言ってないんだけど。

「俺が白な」

「ジャイ〇ニズムだ」

 公式だと、先手後手の決定はコイントスなどで決められる。
 彼女にはオセロは後発(白)が必勝だと言ったけど、あれ6×6の場合なんだよね。
 通常のオセロは8×8のマス目の盤面で構成される。
 中央の4マスに白と黒の石をそれぞれ2個ずつ互い違いに置き、黒が先手となる。
 黒が打つ初手は一見すると4ヶ所あるので4通りあるように見えるが、どこを打っても一通りの打ち方に収束される。
 つまり、既に決まっているところに石を打っているのと同じなので実質的には黒が後手になるのだ。

「おまえに情けはいらない」

「横暴だ」

 まぁ、いいけど。
 適当なところに石を置く。
 序盤はそこまで変動しないだろうし。

「そういえば、オセロとリバーシの違いってなんだ」

 ぱちり。
 白が黒を挟む。

「ルールはほぼ一緒。単に名称が違うだけ」

 日本だとオセロだが、世界的にはリバーシと呼ばれている。
 リバーシは明治期にイギリスから日本に輸入されたものだ。
 長谷川五郎によってオセロの呼び名が広まるまでは源平碁やレヴァルシー、裏がへしという名前で伝わった。
 源平碁は碁石や碁盤で出来るし、ルールも簡単に覚えられるので巷で大流行した。
 今でもオセロを源平碁と呼ぶ高齢者は多い。

「オセロはそもそもシェイクスピアの戯曲『オセロー』からきてる」

 ぱちん。
 とりあえず、角をとっておこう。

「シェイクスピアね。ロミオとジュリエットとハムレットしか知らないな」

 ぱちり。
 その角の横に置くか。

「オチはどれもかわらな」

「やめろ、それ以上言うな」

『オセロー』はシェイクスピアの四大悲劇のひとつだ。
 他は『ハムレット』、『マクベス』、『リア王』など。
 題目だけなら聞いたことある人間も多いだろう。
 僕は小さい頃から母のお供で観劇やらなにやらに連れ回された。
 母によれば情操教育だったらしいが、幼児に見せる内容ではない。

「どんな話だ?」

 ぱちん。
 こっちにしとこう。

「聞きたいの」

『オセロー』ならかなり前に、母に連れられて海外でやっていたのを見に行ったことがある。
 どんなやつだったか。
 記憶の本棚の隅をつついて探す。
 検索、符合、一致。
 えーと、これかな。

「軍人でムーア人であるオセローは白人のデズデモーナと愛し合い、周りの反対を押し切って駆け落ちをする」

 ムーア人は北西アフリカのイスラム教教徒の呼称である。
 オセローが黒人かアラブ人であるかについては研究者の間でも議論されている。一般には前者と解釈されているが。

「人種差別みたいなものか」

「どちらかというと、宗教」

 ぱちり。
 攻めてくるな、玖珂。

「オセローを嫌っている人間が、デズデモーナと同輩が不倫しているとオセローを騙す。嘘の真実味を増すためにオセローがデズデモーナに送ったハンカチを盗み、相手の部屋に置く」

 ぱちん。
 ここでひっくり返してもいいんだけど。

「作り話を信じてしまったオセローは嫉妬に狂ってデズデモーナを殺してしまう」

「あーあ」

 ぱちり。
 あ、やっぱりそこに置くか。

「最後はすべて明るみに出てオセローがデズデモーナに口づけをしながら自殺する。以上」

 ぱちん。
 次はパスしようかな。

「あっさりまとめやがったな」

 ぱちり。
 よし、パスしよう。

「あらすじ言っただけ。パス」

 黒人の将軍と白人の妻の関係がめまぐるしく変わる、という展開からオセロはきている。
『オセロー』は敵と味方が頻繁に寝返る演劇だ。

「黒石は主人公の黒い肌をした軍人オセロー、白石は白人の妻デスデモーナ、緑色の盤面は緑の平原を表現してる」

「うわ、それ聞くと打ちにくくなってきた。エグくないかその理由」

 ぱちり。
 そうくるか。

「洒落てると思うけど」

 なかなかこの発想は出てこないだろう。
 オセロの名付けは長谷川五郎の父親で、英文学者の長谷川四郎によるものだ。
 長谷川四郎はイギリスに造詣がとても深く、遊技文化研究の第一人者だといわれている。

 しかし『オセロー』か。

「駆け落ちしてまで愛した人間を殺すってどうなの」

 ぱちん。
 あとは詰めるだけだな。
 玖珂の手が止まった。
 思考しているのかと思って顔を上げたら、なにやら怪訝な表情で僕を見ていた。

「なに」

「そこに突っ込むのか」

 顔をしかめ、首元をがしがしと掻いて玖珂が小さく言った。

「愛していた、からだろ」

「愛していて、殺せるの」

 おかしくないか、それ。
 死んだら元も子もなくなってしまう。
 玖珂は唸りながら盤面を指先で叩いた。

「愛しているから、それと同等かそれ以上に愛してもらいたいだろ」

 等価交換みたいなものか。
 でも、人の感情は一定ではない。
 いつだって揺らいで傾き、不安定だ。

「我儘だ」

 親が子を愛す、子が親を愛す。
 これは一定の等価交換に成り得るが、実際のところはかなり偏ることが多いんじゃないかと僕は思っている。
 人間は誰一人として同じには成り得ない。
 思考も感情もバラバラで均一にはできない。
 だからこそ、争いは起きるし、なくならない。
 些末なことは見なかったことにするか、許容するかで済ますしかない。

「恋愛ってそんなものだろ」

 そんなもので成り立つのか。
 コツコツと盤面を叩いていた玖珂は顔を下に向けた。

「愛されたいし、愛していたい。これはおまえだって、そうだろ」

「べつに」

 他人にどう思われようと僕はかまわない。
 重要なのは自分の気持ちがあることじゃないのか。

「…おまえ岩戸さんのことどう思ってるんだよ」

 どうって。

「愛してるけど」

 彼女のことは大切にしたい。
 たまに見ることのできる笑顔をずっと眺めていたいし、守りたい。
 これを愛と言わないならなんと言おうか。

 玖珂の頭が盤面に落ちた。
 石が散らばる。
 いまので、かなり配置がズレてしまった。直せるけど。

「なに、考えてんの」

「こっちの台詞だ!」

 言いがかりだ。
 さっきからなにを伝えたいのかさっぱりわからない。
 いつもはもっと含みを持たせないハッキリとした内容で話すくせに。

「…聞き方を変えるぞ」

 玖珂が崩した配置を元に戻していると、にらむようにこっちを見てきた。

「俺と岩戸さんが周囲に内緒で実は付き合ってたら、おまえはどう思う」

 僕の手から石がこぼれ落ちる。
 いま、なんて言った。
 玖珂が、彼女と付き合っていると。
 そんな、ありもしないことを。

「嘘」

 そんなこと、聞いたことない。
 彼女とは、ほぼ毎日会っていたけれど玖珂が近くにいたことはないじゃないか。

「虚言だ」

 それは、嘘。

「どうして言いきれるんだ。おまえと岩戸さんが話すようになったのはここ最近なんだろ。知らなくったって当然だ」

 そうだ。
 知ろうとしなければ、わからないまま。
 本だって読まなければ、ただの紙束。
 僕は、彼女のことを聞こうとしなかった。
 そばにいられたら、それでよかった。
 けれど、それは僕の一方通行の心で。
 彼女の心とは、繋がっていなかった。
 彼女は、僕のことをどう思っているのだろう。

「愛して、いるの」

 玖珂のこと。
 なんだろう。
 もやっとする。どこかが渇いて、かきむしりたくなる衝動。
 目の前のものすべてを、白いキャンパスを黒の絵具で塗りつぶしてしまいたい。

「おまえは」

 玖珂がなにかを言いかけたとき、胸ポケットから鳴り出した電子音が遮った。

「うげ、危ね。マナーモードにしてなかったな」

 メールではなく、通話らしい。
 電子音が、繰り返し鳴り響く。
 さも普通に玖珂は取り出しているが、学校への持ち込みは禁止されている。
 一応、僕も鞄の底にPHSあるはずだけど充電したのはいつだっけ。先月から触った記憶がない。

「もしもし? 公衆電話からなにやってんだ。はぁ? 警察に追われてる?」

 なんか察しがついた。
 あの小さい生物だな。

「リトルグレイ」

「おまえ、そういうこと言うからあいつ怒るんだよ」

 玖珂はわざわざ電話口を指でふさいで小声でつっこんできた。
 自分でも秀逸な喩えだと思う。
 大きな目に小さな背丈。
 華奢で儚げな外見に騙される人間は多い。
 しかし、やることはいつも常軌を逸してるから周りを混乱の渦に陥れる。
 玖珂は僕を問題児呼ばわりするけど。

「あっちのほうがよっぽど問題児」

 僕は理由があってしただけ。
 その結果、そうなっただけ。

「俺からしたら、歩く不発弾か喋る時限爆弾かの違いでしかねぇよ」

「僕どっち」

 ふさぎそこなって、向こう側までその内容が聞こえていたらしい。
 けたたましい声がこっちまで響きわたる。

「うっさい!」

 ぶちりと切ると電源まで落としてしまった。
 大きくため息を吐いてから玖珂は首をひねった。

「えーっと。なに言おうとしたんだっけ、俺」

「問題児はあっち」

「違うわ不発弾が」

 あっちは喋る時限爆弾か。いちいちひどいやつ。

 盤面は、玖珂と僕のこぼした石とでぐちゃぐちゃになっていた。
 時計を見れば、予定以上に過ぎている。
 途中だけれど片付けてしまおう。
 しかし、せっかくの休憩時間を潰してしまった。

「玖珂を恨む」

「なんでだよ」

 思い出した、と玖珂は立ち上がりながら言った。

「おまえがなんと思おうと、俺は俺がしたいようにやるからな」

 なんの話だろうか。
 それより、さっきから胸がむかむかして気持ちが悪い。

「好きに、すれば」

「吠え面かくなよ」

 結構な言い分だ。
 オセロを箱にいれて姿勢を正せば、ネクタイを結び直している玖珂と視線が合った。

「まだ、なんかあるの」

「会ったら聞こうと思ってたんだ。最近、校舎で見かける赤い髪の美人ってアレだろ」

 そういえば。
 玖珂はカグラを知っていたな。
 それなら話してしまっても別に構わないだろう。

「あれはー」

 

 


 

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