板消しの私


 

 彼は黒板を愛している。


 毎日、家族の誰よりも早く家をでて教室に一番乗りするのが私の日課だ。
 まだ誰も来ていないことを確信して、職員室に鍵をとりにいく。些細なことに思われようが、私の数少ない楽しみのひとつだ。
 学校の鍵としてはまずまずオーソドックスな鍵を差し込んで軽く反転。開けたあとは電気スイッチの横にあるフックにかける。
 グラウンドに面した窓を一つ一つ開けていく。この時、私は弱小野球部の練習風景をのぞいたりするのだが、まだ誰も集まっていないようだった。たるんでおるな、若者よ。
 まぁ、今日はいつもより早く着きすぎたみたいだから仕方ない。

「さてと」

 もうひとつの日課が残っている。
 黒板の掃除。
 最後の授業のあとに消しそびれてしまっただろう黒板をついでに、と消したのがはじまりだ。
 もちろんきれいな時はほうっておくが。
 粉まみれの黒板消しをクリーナーで吸ってから端から端まで、払うようにチョークを落とす。
 この学校の黒板は上下にスライドするタイプなので、女の私でも椅子を使わずに消せるのがいい。仕上げに黒板専用の雑巾で拭きあげる。
 ことにしているの、だが。
 今日はまた、一段とすごいことになっている気がする。

「人魚姫、かな」

 あまり、自信はないけれど。美術の教科書で見たことがある。
 近年の芸術テロの餌食になっているという、あの像か。
 目の前の黒板に広がる光景は、中学生のラクガキなどとは言えない、正に本格的な絵が描かれている。影の付け方とか、どうやってるんだろう。私では真似しようにも無理そうだ。
 犯人はわかっている。
 眠り姫ならぬ我がクラスの眠り王子。
 高千穂くんだ。

 高千穂くんは変わった人だ。
 休み時間はいつも寝ている。体育前の休み時間でさえ平気で(友達がそのまま背負って連れていっている。これはどうかと思う)寝ている。
 昼休みもごはんを食べながら(友達が口のなかにパンを詰めこんだりしている。のどつまらないんだろうか)寝ている。
 しかし、授業中は一睡もせずに起きている。
 意外に真面目なのかもと思っていたが、違った。
 彼の教科書は開かれることがない。
 そのかわり一心不乱になにか書きこんでいる。
 最初はノートをとっているのだと思っていたのだが、一度も顔を上げずにペンを動かしているのに違和感を覚えた。
 気になってしょうがなくなった頃、ちょうどタイミングよく授業中に動けた時にわざと彼の席を横切ってノートをのぞいてみた。
 絵だ。
 それも私が描くような(私の美術の評価は5段階の2である)ラクガキではない。
 ボールペンだけで描かれたそれは、一枚の絵画。私はそう感じた。
 彼から見えるであろう風景が、そのまま切り取られたかのようにその英語のノートいっぱいに描かれていた。今にも動き出してしまいそう。
 彼は結局、私がロッカーから荷物をとって戻ったあとも描き続けていた。
 授業終了の鐘が鳴り、粗雑な礼もそこそこに休み時間になった瞬間に机に沈みこんでしまういつもの彼の姿に、小さくため息を一つ。

(天才と変人は紙一重)

 この黒板の絵は、間違いなく高千穂くんが描いている。
 ノートでは抑えきれなかった情熱が放課後の黒板に向けられたのだろう。
 半年以上、ほぼ毎日描かれる絵はいつ見ても、どれを見ても素晴らしいと思う。
 彼が黒板を愛しているといっても過言ではないほどに。
 この黒板すべてが彼の作品なのだ。
 しかし、どれほど彼が黒板を愛していようと、この黒板は公共のもの。
 時間にしては五分くらいであろうか。すみずみまで堪能し、覚悟を決める。

「よし、やるか」

 日課の黒板掃除をはじめよう。



「高千穂、ちょっと」

 HRが終わり、我先にと帰るクラスメイトを横目に教科書を通学鞄に詰めこんでいた手をとめた。
 おそらく人がいなくなるまで寝ていようとした高千穂くんは面倒くさそうな顔をして私の、いや教卓の近くまできた。
 珍しい。人のよい担任は高千穂くんの奇行をスルーしてきたのに。
 しかし、呼んだのはお叱りのためじゃなかったようだった。

「本当にこれでいいのか。お前この間の模試で蓮見ヶ浦にA判定出してたろ」

 驚いた。
 蓮見ヶ浦といえば泣く子も黙る超進学校だ。偏差値がべらぼうに高く、近隣の塾は蓮見ヶ浦に何人行かせられるかどうかで競っている。この学校からも何人が進学できるだろうか。
 そんな蓮見ヶ浦にA判定?
 高千穂くんが?
 休み時間は眠り授業中教科書を開かず絵を描いている彼が?
 いや、ありえなくはないかもしれない。彼がいつも寝るのは夜に身を削って勉学にはげんでいるからに違いない。
 たぶん、そうだ。ああ、でもどうしよう。想像しようとしたけれど無理だった。
 私は寝ている彼か、描いている彼しか知らない。
 しかし彼が蓮見ヶ浦か。
 片や私は、どんなに人より勉強しても中の下か下の上が関の山な残念な頭の持ち主。
 内申書だけでもよくなれと学級委員長を三年ずっとやってきたが、周囲に真面目だおしとやかだと言われようが頭の残念さは治らない。
 あまりにも可哀想になったのか、たまに担任は授業中のよた話をサービス問題に出してくれたりする。担任の飼い猫の名前はブチなのにミケランジェロ。
 一応、近所の高校を進学希望で出しているが受かる確率は低い。
 このままでは名前を書ければ受かると噂の女子高しか選択肢が残されていない。それはいやだ。
「女子高は魔窟」だってお母さん言ってたし。魔窟ってなんだろう。
 というか、二人とも私がまだここにいるのにそんな話をしていて大丈夫だろうか。進路指導室に行くなりしてほしい。

「せめて美術科の選択肢はないのか? 伊藤先生はいつでも推薦すると」

 言っていたが、と担任が言い終わる前に彼が大きな声でさえぎった。

「やめてください」

 はじめて、彼のそんな様子を見た気がする。
 美術部。そうだ、彼はあれだけ描けるのに美術部に属していない。
 二年まではいたような気がする。集会で名前を呼ばれていなかったか。今年はじめてクラスが一緒になったからわからないが、受験生になったからと辞めるタイプではなかろう。
 伊藤先生は今年赴任してきた美術の先生である。才能のない私(5段階の2)には接点もないまま卒業しそうだ。
 気がつけば、クラスには私と高千穂くんだけになっていた。
 彼の邪魔にならないように、早く帰らなければ。
 しかし、彼と伊藤先生には何かがあったのだろう。
 気にはなったが、他人の私が聞けるわけもない。
 今日はどんなものを描くのだろう。小さく彼に別れのあいさつを言ってドアを閉めた。


 今日は遅くなってしまった。
 目覚ましがならなかったのだ。急いで支度をして出たが、いつもより一時間も過ぎている。
 どうしよう。誰かが来ていたら。
 あの空間は私のものなのに!

 (いや、そうじゃない)

 何を勘違いしてたんだろう。
 私は確かに誰よりも早く学校に来るのが好きだった。
 誰よりも劣る私が誇れた唯一のことだったから。
 黒板掃除だって自己満足だ。誰に知られずとも達成感を得られたからはじめたのだ。
 でも、どうだろう。
 あの絵が描かれてからの私は。ここ半年の自分は。
 あの絵を、ひとりだけ見ていられる優越感に浸っていなかったか。あれだけ見事な絵なのだ。どうして消せただろう。
 いままでの私はどうして消せていたんだろう。
 私だけが見て、私だけが満足して誰にも見られずに消していた作品たち。
 急にいけないことしていたのだと、自然と歩みが遅くなっていく。
 そうか、私は。

「彼の絵を独占したかったんだ」

 あの空間を、誰にも見せたくなかったんだ。

 なんて、あさましい。


 職員室に鍵はなかった。
 いつも一番に来るので事務の先生に珍しいと言われて苦笑を返した。
 ひとつが崩れるとどうなってもいいと思えるのだから、おかしい。
 案の定、私の教室には人だかりができていた。私がいままで消さなければできていたはずの、当たり前の光景。

「いいんちょ! 黒板すごいことになってるよ!」

 そうだろう、彼の絵はすごいんだ。私が一番知っていた。
 興奮しているクラスメイトに手を引かれ、どうにか教室には入れたものの、私の机には誰かが土足で登っていて近づけない。
 学校に持ち込み禁止されているはずの携帯電話かなにかのフラッシュがいたるところでたかれている。
 人がとにかく多すぎて、ドア付近からではその全貌を見ることはできない。

「コラ! 誰だ携帯電話持ち込んでるのは!」

 思わず、なにもしていないのに心臓が跳ねた。
 その声にフラッシュをたいていた生徒は、蜘蛛の子を散らすように周りの人間を巻き込みながら逃げていった。その中には下級生もいたようだが波にのまれて廊下にまで出されてしまい、わからない。

「まったく! なんだこの騒ぎは!」

「伊藤先生…!」

 女子が色めき立つ。
 まぁ確かに伊藤先生は二十代だし独身だし禿げてもいなければ太ってもいないけど。顔はどこまでも菩薩顔である。
 若いってだけで教師はもてるらしい。思春期にはフィルターがかかっていると私は思っている。
 人が少なくなったことで私はおそるおそる教室に入る。
 まかり間違っても、誰かに消されたりイタズラされていたら私は立ち直れる気がしない。
 いままで躊躇なく消していたくせに。

 絵は、私が消す前の美しさを保っていた。
 保っていたと思うのだが、なんだろう、この絵。
 何かの門?
 パリにある門?
 それにしては苦悶にみちた人物に見覚えがあるような、ないような。
 逃げた生徒を追うのを諦めて教室に入ってきた伊藤先生が黒板を見て叫んだ。

「地獄の門だと…!」

 なんだそれは。
 私がそう思ったことは他のクラスメイトも思ったことだったらしい。
 誰が聞かずとも先生が説明してくれた。だが、長ったらしくて大半は右から左に抜けてしまった。
 苦悶にみちた人物は考える人か。
 どうりで見たことがあると思った。というか一部だったなんてはじめて知った。
 高千穂くんの絵のチョイスが、いまいちわからない。
 人魚姫といい、今週は彫刻シリーズだろうか。
 考え込んでいた私の横で先生は熱弁をふるっていたが、専門用語をつかわれたら私にはお手上げだ。
 すごい絵なんだ、それだけは確かなんだ。

「これは誰が描いたんだ? 素人技じゃないぞ!」

 先生の疑問の声で、にわかに周りが騒ぎだした。
 犯人探しに彼らの目が輝く。
 クラスの人間か、ああならあいつかもとざわざわと。
 思わずわたしは喉元を手で押さえた。
 彼の名前は言ってはいけない。
 ひっそりと、描き続けた彼の秘密を誰かに暴いてはならない。
 いや、どうだろう。
 誰かに見られたくて彼は描いていたのではないだろうか。
 どうなのだろう。わからない。彼の心など。
 私は彼と話したことさえないのだから。

「でもさ、絶対これ描いたやつ根性悪いよな」

 呼吸が止まった、気がした。
 なにも知らない誰かがその声に返す。

「あーたしかに」

「自己主張はげしいって言うかぁ」

「見せたがり」

「描いたやつネクラだって、こんなのちまちまとさぁ」

「ひでぇ」

「でも言えてるー」

 頭が、怒りで煮えてしまいそうだ。
 彼が、この絵を描ける彼を、どうしてそんなに貶せるだろう。
 なにも知らないくせに。
 彼のことを知らないくせに。

「高千穂くんの絵はそんなんじゃない!」

 ざわついていた教室が静まり返った。
 言ってしまった。
 でも彼がこれ以上侮辱されるのは堪えられない。
 言葉を重ねようと口を開いた私は、周りの人間が私ではなく背後を見ていることに気づいた。
 うしろ。
 振り返った先に彼が、いた。

 ドアにもたれながらこちらを見つめる眠そうな目と視線が交わる。思わず顔を下に背けてしまった。なんて無礼な。
 でも今は会わせる顔がなかった。
 しかしそれでも気になって横目で見た彼は。
 クラスメイトと先生に囲まれた彼の目が、なにかを訴えるようにこちらを向いている気がして、さらに俯いてしまう。
 伊藤先生に連れ出された彼はその後、教室に戻ってこなかった。


 高千穂くんが学校に来なくなった。
 黒板はクラスで話し合って、その日だけの臨時展示室になった。
 授業はどうにか、空きの教室でどうにかやりきった。
 しかし二日目ともなると、見慣れた生徒達は十分写真もとったからと(伊藤先生は最後まで粘っていたが)消した。
 彼はこのことをどう思っているんだろう。
 私がいつものように早く来ていれば起こらなかったこの騒動を。
 あの様子では人に見られるのを喜んでいるようは思えなかった。
 じゃあ、なぜこうなるリスクを背負いながら描いていたんだろう。
 直接、聞こうにもいないのだから無理な話。
 変人な高千穂くんのことだから次の日に何もなかったかのように現れると思ったのだが、水曜、木曜、金曜と過ぎていく。
 そういえば、彼は授業中は絵を描いているし、休み時間は寝ている。しかし丸一日休んだことはなかった気がする。
 どうしよう。
 彼が、もう、学校に来なかったら。
 私は。

 こういうとき学級委員長という身分をフルに使うことにした。
 三年生はプリントが多い。溜まると大変な保護者に向けてのものもある。これを彼の家まで届けてみよう。
 プライバシーの問題が立ち上がると思ったのだが、拍子抜けするほど簡単に認可された。
 あとの問題は家にたどり着けるかだが、これも彼の友人達がマンションの前まで案内してくれたことで解決した。
 ここまで来たなら一緒に行けばいいのに。「あとはヨロシク」と帰ってしまった。
 ご丁寧にもエントランスのロックも解除してくれた。
 助かったが大丈夫だろうかこのマンション。ひいては高千穂くん。防犯の意味がない。
 エレベーターに乗って着いたのは最上階。
 他の階と違って二部屋しかない。
 しかし最上階って。高千穂くんぶるじょあ?
 さすが眠り王子。
 絵も描けて頭もよくて(親が)金持ち。
 なんか泣きたくなってきた。ここにいると私がいっそうのみじめに見えてきやしないか。
 とにかく、謝ろう。
 そして、どうしよう。
 プリントの入った透明のクリアファイルが私の握力でくにゃりと曲がる。
 このままエントランスのメールボックスに入れて帰ってしまおうか。
 いやいや。ここまできて、弱気になってどうする。
 そうだ、チャイムを三回鳴らしても出なかったらそうしてしまおう。

 一回。無反応。
 二回。同様。
 三回。出てこない。

 寝てるのか、居ないのか、もしくはインターホンを見て居留守をきめこんでいるのか。
 帰ってしまえ。
 玄関を背にした時、向かいのもうひとつのご家庭のドアが開いた。
 ぼさぼさのゆるいパーマのかかったかのような髪と、眠そうな目は見開かれ。部屋着なのか柔らかそうな素材のスウェットの上下。

「いいんちょ?」

 私、部屋を間違えましたか?


 なんてことだ。
 私、部屋を間違えていた。
 知らないお宅に何度もチャイムを押してしまった。出なくてよかった。誰もいなくてよかった。いないですよねというかいませんように。
 どうしよう、どうしよう、しっかりしないと。

「あの、私、部屋まちがえええええ」

「いいんちょ、ストップ。落ち着いて」

 落ち着いていますとも。
 落ち着いていますとも。
 むしろこれは予定調和だ。
 帰りたい。ものすごく、いますごく帰りたい。
 とりあえず、彼にプリントは渡して帰らなければ。

「ぷ、プリント渡しに来ました!」

 玄関から完全に出てきた彼に数枚のプリントがはさまったクリアファイルを押しつけた。

「あー、ありがとう」

 完了した。撤退しよう。

「どういたしまして! じゃあこれで!」

 待て私、そうじゃない。そうだけどそうじゃない。
 彼に背を向けてエレベーターへと走り出した私に彼は待ったをかけた。

「これ、いいんちょのじゃないの?」

 振り返った先にあるのは、私の赤ペンだらけの数学の回答用紙。当然だけど、人様に見せられるものではない。
 どういうわけか、私個人のファイルを間違って渡してしまったようだった。
 埋まりたい。
 今、ものすごく穴に埋まりたい。
 その場にへたりこんだ私は、駆け寄ってきた彼に「後生ですから土をかけてくだい」と言って困らせてしまった。
 ああ埋まりたい。


 どうしてこうなったんだ。
 彼と机をはさんで座った私は、ただいま中学一年生の習う数式と格闘していた。
 このクッション柔らかいです。
 そうではなくて。
 腰を抜かした私はなかば引きずられるようにして彼の家に招待され(私、部屋間違っていなかった。こっちが自宅で向かいの家は親御さんの職場らしい)あれよあれよとコーヒー、ケーキに至れり尽くせりで居間に座らされた。
 その延長で聞かれた「数学苦手?」に「教科全般」と答えてしまい、この状況に陥った。
 本当にどうしてこうなった。
 彼は彼で基礎がうんぬん言ったまま私の回答用紙(全教科分)を見てぶつぶつ呟いている。
 本当にどうしてこうなったんだ。
 ああ、でも今なら。この空気でなら、聞ける気がする。

「高千穂くんって、なんで黒板に絵を描くの?」

 彼は回答用紙から目を離すと私の目を見て首をかしげた。

「君が消すから」

 どういうことですか。
 私が消すから?
 そうだった、私は謝るためにここに来たんだった。

「あの、いままで勝手に消してごめんなさい」

「なんで、謝るの」

「なんでって。だってあれ高千穂くんが描いたんだよね」

「うん、君が消すから」

 どういうことですか。
 私が消すから?
 そうだった、私は謝るために…と口を開こうとしたが、彼のふざけてなどいない強い視線に固まってしまう。

「あれは消されるためにある絵。君に消されるためにある絵」

「消されるためにある絵だなんて」

 そんな、もったいないと続けようとした言葉は彼にさえぎられた。

「もったいなくなんてない。いいんちょに見られるために描いたものだから。その後消されてもあれだけきれいに消されれば、うれしい」

「うれしいって…うん、あれ。あ、わわわ、私が毎日黒板掃除してるの知ってたの?」

「うん」

「うんって。ちょっと待っていつから」

「ゴールデンウィーク終わった週のはじめ」

 いつだよ。そして細かいな。
 私が黒板の絵を気にしはじめたのは梅雨辺りからだが。
 彼はいつからそんなことをやっていたんだろう。
 最初の頃は毎日ってわけじゃなかった気がするんだけども。

「でも潮時かも。伊藤うるさいし」

「え」

 止めてしまうのか。あんな騒動になったから。
 あんなにも、それこそ愛しているかのように執着していたのに?
 私が、寝坊して消しそびれてしまったから。

 そうじゃないよと彼は首を横に振る。

「いまのままだと、黒板に嫉妬してしまいそう」

「黒板に嫉妬って…」

 そうだった。彼は、高千穂くんは変わった人だった。常人には計り知れない言語感覚を有しておられる。

「委員長のこえ、かわいいよね。シジュウカラみたい」

「ありがとう?」

 ほめてるんだろうな、多分。スルーしておこう。

「僕ね、話すより描くほうが楽。絵もね、いいんちょの反応を想像して楽しんでた。けどね」

 委員長と直に話して、見て、聞いて、変わっちゃった。
 私は、その力強い瞳にとらわれる。

「黒板より僕を見て。色んな表情を見せてよ」


 そう語る彼の笑顔はいままで見たどの黒板たちよりも美しかった。

 


 

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