ある君と運動会 その1


 

 妙な時期に転校してしまったものだ。


 前の学校は丸衿の白シャツに紺のプリーツスカートといった典型的な小学生の制服だったのだが、この転校先の学校は私服だった。
 着るもののランクを考えないといけないというのは、想像以上にめんどうなことである。普段着とはどこまでを指すのか。華美にし過ぎれば浮くだろうがかといってラフ過ぎれば「なにこいつダセエ」とか声に出して言われかねない。大人と違って子供はそこらへんは残酷なほどに素直なのである。
 それだけでも自分では驚きなのだが、もっと驚いたのはここの生徒数だ。なんだよ学年で二百人って。全校生徒で二百人ではなく学年で二百人って、それに六学年かけたら千を越えるじゃないか。

「はいってー」

『6ー3』と書かれた教室のドアの前に立たされてからしばらくして、若い担任の声に渋々だが引き戸を開けた。
 いくつもの好奇心の目にさらされ、もしこれが弾丸ならレンコンのように穴ぼこになっているだろうなと考えると気分はよくないが、自分だって座っている側だったなら同じことをしているかもしれない。
 あいさつより先にまだ真新しい白のチョークを選んで『
渡貫風音わたぬきかざね』と別段大きくはないが小さくはない文字を書いた。途中ですこし曲がったがこれでよし。

「ど田舎から来ました。よろしくおねがいします」

 ドッとわいたが本当のことなので仕方がない。過疎化をなめるなよ貴様ら。都市部との隔たりはもう埋めようもないほどに広がっているんだぞ。
 あれこれとどうでもいい質問をされて、どうでもいいような答えで返していく。誰だいま「彼氏いますか」と聞いたやつ。将来ハゲろ。

「じゃあそうね、渡貫さんの席はあそこだから」

 朝のホームルームの時間はそう長くはない。
 黒板の上にある時計を気にする担任が指差したのは廊下側ではなく窓際の一番後ろの席。の、となり。
 そこまで足を引っかけられないようにと用心して下を向いて歩けば、どこぞの奇跡のように道が開けられた。

「はじめまして」

 となりは男子生徒で、風音が横にくるとタクシーの運転手でもしないだろうに、わざわざ座りやすいようにとイスを引いてくれた。どこの時代から来たのだろうというジェントル仕様だ。
 さらにいうなら彼はサラサラの向こうが透けるほどの金髪に新緑のような色の目をしている。完全に異国の血が混じっていますと主張している上に、女子から見て将来有望なそうな顔立ち。
 風音としては「こいつの横にずっといたら、いつの間にか浄化されそうだな」と半ば引くほど清廉とした雰囲気を醸しだす子だった。あまり自分は良い子ではない。まぶしい存在感にただただおののく。

「ありがとう、ええと」

 彼の胸から下がる名札に書かれたその文字は何と読むのだろうか。名前の間違いは初対面で歳を間違えるくらい心証が悪いのである。
 うえださんも、かみださんも、たのうえさんも、たがみさんも、先に名乗ってから言えと思う。もしくはルビをつけろと。
 今回、その回答は本人からもらえた。

天使あまつかだよ、よろしくね」

 おしい。実におしいと思いながら席に着く。きっとあだ名は
天使てんしだ。間違いない。
 きゃあきゃあというどこからか聞こえてくる騒音に近い声は自分にではなくこの子に向けてなのだろうな、と若干いやな気持ちになった。転校してそうそう騒動に巻き込まれるのはごめんである。


 授業の開始の鐘の音は前の学校とそう変わりのないものだった。
 が、さっそく問題が発生している。
 教科書類などの手配は転校が急なこともあって、実はカバンの中は筆記用具と未使用のノートしかない。
 となりが女の子だったらまだよかったのだが。
 チラチラと担任へと熱い視線を向けるが、遠いせいか気づいてもらえない。
 それより先に横の生きる地雷から声がかかる。

「ああそっか、教科書ないの? よかったらこっちに寄って。一緒に見よう」

「いや、ええと」

 視線が痛いからやめとくとは言えない。断る前にちょっとだけ開いていた空間はぴったりと寄せられ、真ん中の位置に教科書を開かれる。さあ見ろよという主張にさらにもう口は開かない。
 下手にコミュニティ能力の高い相手に反論するのはめんどくさいのだ。気力を使うよりここは流されよう。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 彼がほほえむと、周囲がざわめく。主に女子生徒が。男子生徒からも聞こえる。男女無差別とは恐れいる。
 ああこれはダメな気がする。古い言い方をするなら放課後に体育館行きコース。帰りに靴がお隠れ遊ばすコース。

「ええと、天使くん。や」

 やっぱりいいや、と断ろうとしたが、その前に背筋に冷たいものが走った。あとなんか痛い。痛いのは気のせいだが痛い。
 そっとあたりを見渡せば、男女で席を繰り返しているはずなのにそこだけずっと女子だけで固まっている場所があった。私服校だというのに全員がテレビでよく見るアイドルのようなカラフルでチェックの制服を着ている。軽いコスプレ集団だ。頭になんか乗っかっている子もいる。重くないのだろうか。
 その軽くコスプレ集団全員が風音をすごい形相で見ていた。

 断ったら、許さん。
 でも一緒に見るなんて許さん。

 声に出さない声が風音には聞こえた。超能力者になったつもりはないが、おそらくはそういう意味を込めているだろう視線に内心ため息をつく。

(普通にこわい。どうしろと)

 断ってもダメ。断らなくてもダメ。話すの自体が気にいらないと。
 ああこれはもうこの学校で友達作りは絶望的だな、と自分のことなのに他人事のように思った。
 基本的にドライな子供だという自覚はあるので「ズッ友だョ」という友達はいらないが、風邪をひいて「誰かおうちまで連絡を持っていってくれないかな」という時にもめそうな関係になるのは嫌だ。
 上部だけでも仲良くしときたいなあと思ったりもしたが、卒業までのあと数ヶ月をどう乗り越えようかと頭のすみで考える。

 これはもう、彼を巻き込んでしまおうか。

 しかしそんなのとは裏腹に出たのは。

「や、やっぱり、その。きれいだね、その白い羽?」

 なにを言ってやがんだろうか自分。

 自覚しているよりも内心パニックになっていたらしい。選択から真っ先に排除した言葉をわざわざピックアップしなくとも。
 たぶん、一番触れちゃいけない部分に突っ込んだ。地雷原に突っ込んだ。
 授業中にかかわらず、シーンと静まり返る。いや、授業中なのだから静かなのはいいことなんだけど、いままでこそこそと話していた子も一斉に口をつぐんだ。
 ああ、もうこれは本当にタブーだったらしい。ごめん、本当にごめん。教室の空気を壊してごめん。これは一回、職員会議にかけられる気がする。

 対する彼は、目を丸くしていた。
 どこか大人びた表情だった彼がそれだけの動作をすると、ようやく同年代の子なのだと感じた。

「面と向かって言われたのは、初めてだなあ」

 そうだろうとも。彼の特異な外見をわざわざ指をさして言うほどの人間は、ここにいました。これは土下座すべきか。差別用語だとは思わなかったけど行ってはいけない部類だった。。髪切ったでさえセクハラとされる世なのだから、なおのこと気をつけているべきだったのだ。

「ええと」

 風音が、謝罪を口にする前に。

「渡貫さん」

 彼は特大の笑顔をくれた。いままで浮かべていた笑みとはまた違う笑みを。

「ありがとう、実は真っ白は珍しいんだよ」

 背中に、鳥のような羽がついた天使くんは照れたようにそう言った。






 UMA(未確認動物)とも伝説上の生き物だともされていた彼らが堂々と世に出てきたのは、いまからかれこれ数十年前。
 日本ではちょうど元号の呼び名が変わった頃。師走の忙しい時期に彼らは人の言葉で流暢に話しだしたのだという。
 尾の長い、蛇というには触ると痛そうな鱗に角をもった空を飛ぶ金色の龍は、屋外に設置してあった一台のカメラの前でこう切りだした。


『千年の誓いは破られた』


 彼らは突如として現れた。本当に、唐突もなく。あっさり人間に混じって暮らしていた。アパートとかに住んでいた。バイトもしていた。
 ただ、隠す必要がなくなったからと本来の姿を見せた。様々な姿を。もちろん世界は恐怖に震えた。

 が。


『約束の時は来た―――継続の印もないし、出てきちゃったけどいいよね☆』


 軽かった。すごい軽かったと、彼らの代表だという龍の長の声明を画面越しで見ていた母たちは口を揃えて言う。


 千年も昔、彼らは姿を隠すことなく暮らしていたそうな。
 一部は人と共に暮らし、また一部は人を襲い、生きていた。

 恵みも滅びも同じように受け入れては繰り返し。
 人は体も心も貧弱で、ただただそれを甘受した。
 それでも彼らと人は互いを認識して生きていた。
 人が、人間が知識という力がそれを越えるまで。

 ある人間が彼らを騙くらかして、世界に膜を張ってしまうまで。






 妙な時期に転校してしまったものだ。

 カレンダーをにらみながらそう思っていると、めったに部屋から出てこないはずの叔母が冷蔵庫を開けながらこちらを見ていた。

「どうしたの、そんな眉間にシワ寄せて」

 二十代後半というのにまだ売れていない、しかし熟れた豊満な身体は服も肌もインクで汚れている。髪はいつから切っていないのか伸びっぱなし。
 職業柄、仕方ないとはいえ。見かけは整えれば楚楚としたお嬢さん、で通るのに。実際にイイトコのお嬢さんなのだから。

「運動会、今週末なんだって」

「あららー。五日もないわね。…ごめんけど」

「わかってる」

 来れないくらい。修羅場中なくらい、同居人としてわかっていますとも。
 風音がひそかに憤っているのはそこではない。こんな中途半端な時期に転校しなければならなかった、させた両親に向けてである。


 風音が生まれてから十二年ほど住んでいたのは、県庁所在地とは名ばかりの田舎である。本当にど田舎だった。空気がきれいというより空気を吸う人がいないという有り様。だから空気がきれいなんだ。数の暴力だ。
 ただし、家は辿れば名士を数多く世に送り出したという大地主ということでそれなりに大きかった。
 古くはあるが、日本家屋に日本庭園。お手伝いさんも沢山いたらしい。昔は。

 昔は。

 ここ、重要である。
 とても重要である。

 風音の祖母は、父の母は夫が亡くなってしばらくの間、人間の醜さはかくもここまでかと見せつけられて重度の人間不振に陥った。いわゆる、相続争いのせいで。
 親しかった人間もすべてが敵に見えた彼女は唯一信用していた息子を、上京して世界をまたにかける大企業に勤めていた長男を無理やり呼び戻した。そして当時、長男と付き合っていた女性も。
 長男も女性も―――のちに妻となった二人は仕事が命、仕事が一番という人間。働かなくとも生きてはいける田舎にいるより寝る暇もないほど働いているほうがいいという人間。
 しかし広い屋敷に、お手伝いもなにもかも拒絶した年寄りをひとりで放っておくことができず。
 彼女の信頼を得て長男の妻となったほうが泣く泣く仕事を一時的に止めることで家を支え、長男は単身赴任でたまに帰ってくるということを繰り返して十年余り。

 かねてより、身体があまり強くなかった彼女は今年の夏を越えることができずに孫に看取られて天に召された。

 のが、二週間前。いまから二週間前。おわかりいただけるだろうか。

 たしかに風音の母は泣いた。心の底から泣いた。それは喜びの涙ではなく悲しみの涙だった。
 祖母にはよくしてもらった、両親のいない自分からしたら実の親のようだったと三日間泣いて、こらえて、泣いて葬式を終えた。
 終えてから、早かった。
 専業主婦からキャリアウーマンに早変わりした母は、田舎の屋敷を信用のおける機関に託して父の元へと駆けていった。

 風音を置いて。ひとり娘を残して。

 結局は、都市部で一人暮らしをしていた叔母に頼んでいったのが真相なのだが、よく聞けば「四十九日には一旦戻るわ」の書き置きひとつで叔母に転校その他のことは丸投げしていったそうな。
 いまは単身赴任先の父と共に海外なのだという。実は祖母に隠れてネットを繋いでは家でもできる仕事をしていたらしく、ブランクさえ欠片も見せずに会社に貢献しているそうな。めでたしめでたしなーんて。

 めでたくあるか、ふざけるな。子供をなんだと思ってる。

 そりゃ、十年以上我慢してたんだものね。仕方ないねと思えるほど風音は良い子でも大人しい子でもなかった。
 いきなりつれてこられた空港で「風音ならひとりでも大丈夫よね」と別れを告げられ。
 あと数ヶ月で卒業できるはずのほぼ生まれてからずっと顔見知りだった友達のいる学校からいきなり転校させられ。
 まわりの子よりはしっかりものとはいえど、開いた口がふさがらずに今日日まで来た。
 これだけでも、結構なダメージなのに。

「おばさ…じゃなくて桐ちゃん。こっちでは亜人さんって珍しくないの?」

 少なくとも、地元で見たことはなかった。祖母が遠出をするのを嫌がるので、必然的に風音の行動範囲は狭かった。知識は本と画面の中からだけ。

「亜人さん? そうねえ、人魚とかミノタウロスとかは見たことないけど、獣人さんはそう珍しくもなくなったかしら。幼稚園とか、獣人さんだけでクラスがつくれるくらいって聞くし。風音はまだ直に見たことないの? そっちが珍しいわよ」

 今日、はじめて見ましたとは言えない。となりに座ってましたとも。

「それにね、風音。亜人と言うのはやめなさい、差別用語だわ。彼らにはちゃんとした戸籍も人権もあるのよ。国に認められた存在なの!」

 日本では。まだ他国ではゴタゴタが続いてると聞く。
 そういうところはどういうわけか柔軟に対応できる国である。

「そういう意味で言ったわけじゃないけど…」

 どう呼べばいいか、わからなかっただけ。しかし叔母は聞いていないようだった。
 たしか、彼らを極端に忌避する人間がいるように、逆に彼らを極端に崇め奉る人間がいるという。どっちもどっちで近寄りたくはない。
 叔母は、どうも後者のようだった。本日、二度目の地雷原に突っ込んだ。

「彼らは素晴らしいのよ! まず能力が…」

 恍惚とした表情の叔母からカレンダーへと目線を移し、今日の夕飯はどうしようかなと止まらない声を聞きながら思考を過去に飛ばした。





 


 

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