なる赤の導きに


 

 その光景をわたしは忘れることはないでしょう。


 ああもうだめだ。

 少女は途方に暮れ、雪降る夜の街角からもれる明かりから手元のひとつも減らないマッチの束へ虚ろな目を向けました。

 生誕祭で賑わっている街の角にその少女はひとり立っていました。
 街中はどこもかしこも、人々の姿も華やかに飾られていましたが、少女のいる一角だけはどこかひっそりとしていました。
 あかぎれて血の滲んだ手、この季節に着るには薄すぎる裾の擦り切れたスカートに元は白かったであろう茶色く汚れたエプロン。穴の空いて爪先が見えてしまっている靴。雪よけの上着も頭巾も被っていない、寒々しいそのあわれな少女を人々は見ないようにして顔を背けると前を通り過ぎていきます。
 一昨日の朝から、少女は水以外のものを口にしていませんでした。味の薄い豆のスープや噛みちぎるには固すぎるパンもあれこれ理由をつけて与えられなくなっていたのです。
 どれだけ腹を空かせたとしてもひとかじりぶんのパンを買うお金も少女はもっていませんでした。
 せめてこのひとつを誰かが買ってくれたなら。ちいさなあめ玉ひとつと――いや、だめだと少女は首を振りました。
 そもそも言われた分のマッチさえ売りさばけていないのです。この状態で家に帰れば少女は、自分が、どんな目に合うかをなんとなくですが知っていました。
 遊んでばかり、酒を飲んでばかりで働くことをいやがる親たちが真夜中、少女に隠れてひそひそとお金の相談をしているのをうっかり見てしまったのです。

「もういいだろうか」と「やせぎすだが肥やす手間が惜しい」と言っているのを。

 少女は、自分が明日の朝にでもどこかへと売られてしまうとわかっていました。

「おねえちゃん…」

 姉はどうなったのだろう。
 少女は雪降る最中、記憶の中に残る姉の姿を思い出しました。
 混じりっけのない金の髪によく晴れた空のような青の目をした美しい姉。
 しっかり者で年の離れた姉は父が亡くなったあと、なにもできない母を気遣いまだおぼつかない少女の手を引いて街角でマッチを売っていました。
 しかし、そんな優しかった姉はある日突然、少女の前からいなくなってしまったのです。
 少女の母が連れてきた新しい父は「良い方に見初められて嫁に行った」と言いました。まだ姉は十二にもなっていなかったというのに!
 いまなら少女にもわかりました。あの優しい姉は、美しかった姉はどこかにマッチのように売られてしまったのだと。
 そして、次は自分が売られる。姉と違って器量がよくないからたいして高くは売れないだろうと母は笑っていました。

 家に帰るのはいやだ。あんな人たちと顔を合わせるなんて。

 しかし、雪降る夜に少女のマッチを買ってくれる人間などひとりもいません。
 窓からもれる明かりは暖かそうで、にぎやかな声はいつにもまして楽しそうで。
 少女はその場からゆっくりと歩き出しました。あまりにも自分がみじめに見えてしかたがなかったのです。
 しかし行き場もなく歩き回っているうちに疲れてそれ以上は動けなくなり、街外れの井戸へと背をあずけると座りこみました。

「もう、いいかな」

 寒さにかじかむ手を動かすと売り物のマッチをひとつ取り出すと壁に擦りつけました。
 そして小さな明るさが少女を照らし――ませんでした。

 つきません。

 こすってもこすってもつきません。どうやらそのマッチはこの雪のせいで湿気ってしまっている様でした。
 少女はまたひとつ取り出しました。
 またつきませんでした。
 もう一本、もう一本とこすりましたが結局すべてつきませんでした。

 ああ、なんて自分は運がないんだろうか。暖をとるのも、夢を見るのもできないなんて。

 少女は母に代わって姉が枕元で語ってくれたおとぎばなしを思い出していました。
 かわいそうな境遇の女の子が父親に言われて街へマッチを売りに行きましたが、ひとつも売れず。家に帰っても売れなかったことを責められると思うと帰ろうにも帰れず。
 雪降る夜半、ひとり明かりのもれる家をうらやましいと思いながらも売り物のマッチに火をつけて。その明かりで暖をとりつつ、優しかった祖母を思い出しながら天に召されるかなしいおとぎばなし。
 少女は、自分が売られるくらいなら、マッチ売りの少女のようにひとり幸せな思い出に浸りながら死ねたらと思っていました。
 しかし現実はそう上手くはいきません。

 このまま、雪に埋もれて誰にも知られずに死ぬんだ。

 とっくに枯れたと思っていた雫が少女の目じりから溢れました。

「おねえちゃん」

 最後に、せめてあの優しかった姉の姿を思い出そうと目を閉じました。
 そのまま二度と開くことはない――と少女は思っていました。しかし、どこからか聞こえはじめたベルの音にうっすらと目を開けました。
 最初、遠くから聞こえはじめたそのベルは生誕祭のはじまりの朝、一年間良い行動をした子の枕元に贈り物を届ける誰かのソリにつけられたものなのだろうと霞む視界の中で聞いていました。

 わたしは、いいこなのに。どうして赤い幸福が来ないのだろう。
 わたしに石を投げてきた男の子には毎年来てくれるのに。

 そう考えると悲しくて。あと、どこか心のどこかがちくりと痛みはじめました。
 すると、どうしてかどんどんその痛みが少女の思い出す姉の姿をかき消していきます。
 どんなにどんなに思い出そうとしてもその端から笑顔の姉の姿が消えてしまうのです。

 ぷちり、と少女のなにかが切れました。

 ベルの音がどんどん大きくなり、ふらふらだったはずの少女は勢いよく立ち上がりました。

「いい夢くらい見せてよ!」

 痛い、悲しい、こわいという感情よりもそれ以上に怒りと憎しみが次から次へと沸き上がっていきます。
 そうして人々がいる街へと目を向けた少女は――マッチひとつよりも大きく赤く燃えている街を見た少女は固まりました。
 カンカンカンと街中で鳴り響く音は止みません。むしろ違う方向からも増えていきます。さっきまでは楽しそうだと思っていた声はいつしか叫び声へと変わっていました。
 呆然とその光景を見ていた少女は、燃え上がる赤い街からなにかが勢いよくこちらに向かってきているのに気づきました。

 それは最初、犬だと少女は思っていました。
 火を背にして黒く見える、こちらに駆けてくる黒い犬たち。
 しかしそれは次第に近づいて、犬よりもはるかに大きいものだとわかりました。

 鍛え上げられた肉体はどこまでも美しく。まるで丸太のような腕と脚は雪の上でも滑らずに力強く地を跳ねています。光輝く肌からほとばしる汗は湯気となり立ち上ぼり、赤いブリーフ一枚だけだというのに暖かいを超えて暑苦しい。

 ――マッチョが四人、こちらへ四足で駆けてきていました。

 パシーンッという音と共にそのマッチョたちは少女からすぐそこという所で止まりました。
 黒光りするマッチョたちは各々、少女に見せつけるかのように無言でポージングをはじめました。
 よく見るとそのムキムキマッチョの首には丈夫そうな棘のついた首輪がかけられており、そこからは太い鎖が伸びています。
 伸びた鎖のその先は赤いビロードが敷き詰められ、柔らかそうなクッションが置かれた上品な黒いソリ。
 そこからゆっくりとした動作で降りてきたのは白の毛皮のコートに大きくスリットの入った真っ赤なドレスを着た美女でした。
 黒い鞭を地面に打ち鳴らした美女は豊満な胸を揺らしながら膝をついている少女を抱きしめました。

「探したわ。家に行ったのにいないんだもの」

 高く結っている美女の金の長い髪がさらりと少女の頬を撫でました。

「迎えにくるのが遅くなってごめんなさいね。思った以上にこの国は腐りきっていて、掌握に時間がかかってしまったの」

 その声に、少女は聞き覚えがありました。

「お、ねえちゃん…?」

「そうよ、おねえちゃんよ! ああもうこんなに冷えてかわいそうに!」

 青い目をした美女は自分の着ていたコートを脱ぐと少女へと着せました。
 そしてソリまで抱き抱えると自分の横へと乗せ、ポージングをして待っていたマッチョへと振るいます。

 パシーンッ

「はぁん!」

「もっとぉ」

 うっとりとした表情でしなるマッチョは暑苦しく悶えながら、凄まじい速さで走り出しました。


 ◇◇◇◇◇


 むかしむかし、とある国のちいさな街にマッチ売りの少女と呼ばれていた青の目に金の髪をした美しい少女がいました。
 あまり働かない母と継父、まだ幼い妹を食べさせるために懸命にマッチを売っていたのですが、ある日お金に目の眩んだ両親に少女はでんぶりとした悪いお金持ちに売られてしまいました。
 しかしお金持ちの家まで馬車でむかう道すがら、ある盗賊に襲われてしまい人攫いの人間はそこでほとんどが逃げ出してしまいました。
 残されたのは美しいマッチ売りの少女と馬車の馬。そしてその馬用の鞭。
 少女は鞭を拾い上げると――盗賊にむけて打ち鳴らしました。
 少女の実の父は行商をしており、たまに連れていってもらっていた少女は鞭の手解きを受けていました。
 鞭だけあればおまえはのしあがれる――父の言葉を思い出した少女は見事な鞭さばきで盗賊を従わせることに成功しました。
 しかしこのまま家に帰るわけにはいきません。いま家に帰っても違うお金持ちに売られるだけ。元から変えなければならないと少女は思ったのです。

 ――この国を根本から変えなければ――

 弱いものはいらないと言われた男たちは日々トレーニングにトレーニングを課し、岩をも砕く美しい肉体を手に入れました。
 少女から鞭で打たれることを至上の悦びとし、日ごとにその仲間を増やしながらも少女の言うままに悪政を行う貴族の家や悪いお金持ちの家を襲い、またどれだけ肉体美を得るのが素晴らしいかを説き、仲間にしながらも数を増やしていき――

 とうとう少女はこの国の王になったのです。


 ◇◇◇◇◇


 その光景をわたしは忘れることはないでしょう。
 マッチョたちの楽園といわれる国の女王の妹は孫にそう語りました。

 


小説家にな ろう ver

 

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