らあらしこ


 

 少女はあきれ果ててその場を静かに離れたのである。





 昼下がり、晴れていたはずの空は乙女の機嫌を損ねたように前触れもなく曇ったかと思えばその次の瞬間には大粒の雨で地面をうがつ。
 当然、雨具の用意などできていない軽装の村人や旅人はその雨から逃げるために屋根の下や木の下へと急いだ。
 そのひとつは森の麓にある小さな茶屋。
 座席もそうない、しかし隅々まで掃除の行き届いた店である。
 店先にタダで居座るのもしのびないと一杯お茶でもと中に入る人影の中に一回り小さな影だけが軒先から動かない。
 目深に被ったフードの人物に茶店の老婆が話しかけた。

「さてはて、そこのお嬢ちゃん。この雨は通り雨さ。すこし待てば勝手に止むだろう。そんなに急いだっていいことなんてひとつもありゃしないよ」

「………」

 しかしその人物は空をにらんだまま動かない。
 やれやれと店の中へと戻り、他の客を相手にしながらもやはり気になるものは気になる。
 見渡せば茶店の中の客は男ばかり。
 老婆は「ははあ」と笑った。

「なんだあんたら泉の女神を見にきたのかい」

 ほとんどがそれに頷き、数名が首をひねる。
 店先の人間も少しだけ頭の角度を変えて隠れ聞く。

「知らないのかい。なら時間潰しにでも最近このあたりで噂の泉の女神の話でもしようかねえ」




 ◇◇◇

 時は、少しだけ遡る。



【 前略 お師匠様

 お師匠様はご健勝のことと思います。
 私は元気にやっています。
 街の人もとても親切です。
 特にあと書くことはありません。

 あらあらかしこ 】


 あんまりにもあんまりな内容の手紙にどうしたものかと指先で机を叩く。
 その引き出しを開けてみれば、同じような文面ばかりがつづられた手紙が束になってあらわれることだろう。
 頻繁に来る頼りはその頻度の代わりか中身がない、というより変わらない。
 むしろまだ昔、ここに一緒に住んでいた時に壁に貼りつけていた書き置きのほうがまだ内容に富むだろう。
 近況報告にしたって他に書くことはないのか。
 こんな文章を書くような淡白な人間ではなかったはずだが、長らく会っていない間に性格が変わってしまったのだろうか。

「うーむ…」

 弟子の中でもことのほか可愛がっていた弟子なだけに、この手紙には毎度心が荒れていく。
 うんうんと唸りながらも返事を書くために万年筆を握ると同時に机の横の扉が控えめに開いた。
 くゆるカップを盆に乗せ、紺の質素なメイド服に身を包んだ少女が主人の許しもなく現れる。


「こら、ノックはしなさい」

「三回しましたよ、マスター」

 眉をしかめた主人に涼しい顔をして使い魔の少女は答える。

「本当か」

「耳が遠くなったようですね、マスター」

 失礼にも主人を年寄り扱いする使い魔が手際よくお茶の準備をするのを横目で見ながら机に広げたままの紙にペンを走らせる。
 しばらく待ったが止まる様子が無いのを見て無表情に少女は告げた。

「お茶が冷めますよ、マスター」

 そんなのわかっている。
 しかしいまは返事を書かねば。
 そしてさっさとこの使い魔に渡して――そうだ。
 書きかけの便箋をくしゃりと丸め、また新しく出した紙になにかを書き出していく。
 その間にもせっかく淹れたお茶は冷えていくのだが、なにも言わずに少女はその後ろ姿を見つめた。
 魔法使いというのはこういう手合いのものが多い。
 なにかに固執しだすとどうやっても止まらないので好きにしておくに限る。
 猫舌でもぬるいと文句を言ってくるほど冷めたころ、主人は勢いよく顔を上げて書き上げた手紙を少女に差し出した。

「頼みがある」

「なんでしょうか、マスター」





 ◇◇◇

 この先の森の奥にはそれはそれは綺麗な泉があってね。
 ある日、そこの近くで木こりの男が、木を切っていたんだと。
 ところが手が滑って、持っていた斧を泉に落としてしまったんだってさ。
 木こりの男は困って泣き出してしまった。
 すると泉の中からそれはそれは美しい女神さまが出てきて、光る金の斧を見せてきたんだってさ。

「あなたが落としたのは、この金の斧ですか?」




「それ以来さ、泉に金目のものを投げれば女神が見れると噂だよ」

 そこまで老婆が言うと軒先からがつん、と音がした。
 振り返ればそこにいた人間がふらついたのか壁に頭を当てた音だった。
 雨はまだ止まない。
 体調でも崩したのかね、と老婆は無理やりにでも店の中へと入れようかとしたときに客の一人が声を上げた。

「なんだいそりゃ。泉の女神つったらあれだろ、途中まで合ってるがよ」

 客の知っている泉の女神は善と欲深の訓戒の話だ。
 店先の人間も体勢を立て直してこちらへと視線を向ける。
 泉の女神といえば有名な昔話である。
 ある木こりが泉の側で木を切っていたが、手を滑らせて斧を泉に落としてしまう。
 困り果て嘆いていると女神が現れて泉に潜り、金の斧を拾ってきて、木こりが落としたのはこの金の斧かと尋ねる。
 木こりが違うと答えると、女神は次に銀の斧を拾ってきたが、木こりはそれも違うと答える。
 最後に失くした鉄の斧を拾ってくると、木こりはそれが自分の斧だと答えて木こりの正直な心に感心した女神が三本すべてをきこりに与えるという話だ。
 それを知った他の木こりがわざと斧を泉に落として欲深で元の斧さえなくなってしまったというオチもつく。

「そうなんだけどねぇ。この森の泉の女神は大層な美人らしくて。会った人間は魂が抜けたように惚けてしまって落とした物はそのままに戻ってきちまう。話を聞いて面白がった人間が次から次へと行くんだが結果は一緒さ。いつからか金目のもん入れれば出てきてくれるって噂になってねえ。まあ最近は女神も疲れたのかどうやっても出てこないらしいけどさ…お嬢ちゃん!」

 まだ降り止まない雨の中、走り出した影に老婆は叫んだ。
 急いで外に出れば小さな後ろ姿が森の奥へと消えていく。
 めくれたフードの中身が見えて――悪いことをした、と老婆は思った。




 森の中腹、獣道を駆け抜けて開けた場所に出るとそこには雨粒の波紋を押し返すかのように揺れる清らかな泉がひとつ。
 その前にはいくつかの人影。
 噂を聞いた人間が集まっているのだ。
 単純に美人だという泉の女神を見たいという者。
 しかし大半はその泉に落ちただろう金品をとってやろうという者。
 どちらも下心満載で満ちている。

「おっかしいなあ」

 泉の水は透き通り、底が見えているのに落ちたという物は見えない。

「どうする、潜ってみるか」

「女神のいる泉に潜るのはなあ」

 さすがにそれはおそれ多い気がする。
 試しにと男の一人が指輪を引き抜いて落としてみる。
 くるくると回りながら落ちていく指輪は底に落ちる手前で忽然と消えた。

「おお!」

「でるか!」

 しかし、待てども待てども泉には変化はない。
 降っていた雨もいつの間にやら止んでしまった。
 波紋もない静かな泉がそこにあるだけだ。

「こりゃガセネタ掴まされたな…」

「指輪がああ」

「あきらめろ、どうせ安もんなんだろ。日が暮れる前に帰ろうぜーってうわあ!」

 どうしたもんかと肩を落とした男たちはいつの間にやら背後にいた人影に驚いて声を上げた。
 しかしその様子に構わずにフードを被った人間は男に問いかける。

「女神は出たか」

 同類か、と男は泉を横目で見て首を横に振った。

「下手に金目のもん入れねえほうがいいぞ」

 消えちまうだけで女神なんざ出ねえよ。
 その言葉に小さな影は承知したとでもいうように頷くと歩を緩めずに泉の中に進んで――そのまま落ちた。

「ちょ、なにやってるんだ!」

 帰りの準備をしていた男たちは度肝を抜いて泉を覗いたがその水面はただただ透き通り、なにもない底を映していた。







 ◇◇◇

 魔法使いが住むのは人間が住む人間界と悪魔が住む魔界の間にある小さな隙間の名もない世界である。
 魔法使いは力のない人間から見れば力はあるが力のある悪魔から見れば力はなく。
 人間より長生きで。
 悪魔よりは短命で。
 どちらからも迫害されどちらにも馴染むことは出来ず。
 仕方なく、彼らは隙間を探してはそこに住む。
 それは鏡と鏡の間。
 それは雨上がりの虹の麓。
 それは忘れ去られた協会の裏。
 それは猫だけが知っているひだまりの場所。
 小さな隙間の出入口は、そんな所に。

 臆病な彼らは滅多に人前に姿を現さない。
 危害を加えられることをおそれた人間は恐ろしい。
 悪魔よりも悪魔らしく魔法使いを責め立てる。
 子供であっても、魔法使いと知れば生みの親にさえ厭われる彼らは同じく年嵩の魔法使いに保護されて育つのだ。
 ある程度、力を制御する術を磨き、自分が住める隙間を見つければ巣だっていく。

 この森の泉はそんなひとつの隙間の入口。
 人一倍臆病な魔法使いのために師が用意したとっておきの隙間。
 小柄な影は水底につく前に隙間の世界へと入り込んだ。



 白い世界に浮かぶのは様々なもの。
 豪奢な大粒真珠のネックレス。
 細く繊細な金や宝石に彩られた指輪。
 他にも高そうな大剣や宝箱、髪飾りにオルゴールや楽器もある。
 その中に、申し訳なさそうに浮かぶ――鉄の斧。

「…ミルテ」

 その隙間の世界の最奥、この場の主人である少女は伏せていた顔をあげた。
 いつものように師の使い魔の少女が来たのだと思えばそこにいたのは。

「お師匠様!?」

 視線のその先、フードをとったそこにある顔に驚いて立ち上がった少女――ミルテは頭上のものに打ち当たってまた床へと崩れ落ちた。

「ううう…」

「おまえなあ…」

 昔からなにかとそそっかしいのだがいまでも変わっていないらしい。
 とっくの昔にに成人しているどころか百年近く生きているのにかかわらず女に間違われるほどの背丈と幼い顔をした師はあきれて言う。

「噂を聞いてどんな悪女に成り果てたかと思えばなんも変わってないじゃないか」

 いつものように使い魔に手紙を渡してもらおうとしたのだが、今回は「そんなに気になるのならご自分で元気な姿をみてくればいいではないですか、マスター」と言われ、それもそうかもしれないなと思いここまで来たのだ。
 来てみれば、これだ。

「あ、あああ悪女!?」

 だ、誰が!? と痛みから回復したミルテは今度は慎重に起き上がる。
 浮遊物を避けて師は腕を組んでミルテの前まで歩む。
 小柄な体つきなのに異様な威圧感があった。
 師のうろんげな視線にミルテは震える。

「金品をせびる泉の女神が悪女以外になんと呼べばいいんだ、ああ?」

「ちが、違います! せびってないです!」

「じゃあこのけったいな浮遊物はなんだ」

「かっ返したくても返せなかったんですー!」





 ◇◇◇

 ミルテの言い訳は、こうだ。

 引っ越してきてばかりのころ、あるひとりの男が、泉に斧を落としてきた。
 引っ越してばかりで入口を閉め損ねていたので鉄の斧は水底で止まることなく隙間の世界までやってきてしまった。
 どうしたものかとしばらく様子を見ていたら男は困って泣きだした。
 さすがに可哀想だし返してあげたいが魔法使いとバレたら大変だ。
 そういえば、昔話に似たような話があったような。
 よし、これでいこう。

「そそ、それっぽくやればいいかなーなんて思ってたんですけどっ」

 どうも出方が悪かったのか、なんなのか男は金の斧も銀の斧も、鉄の斧でさえなにも貰わずに帰っていった。

 しかもその男の後から次へと次に手を変え品を変えて同じようなことが起こっていく。
 増えていく人間。
 増えていく浮遊物。
 連日、穴場である静かだった泉にはたくさんの人間が来るようになった。
 人間ってこわい。
 最初は律儀に女神として対応していたのだが、最近はそれすらこわくて出来なくなった。

「手紙にはそんなこともなんも書いてなかったぞ」

「う、ええ、だだってお師匠様には心配かけたくなかったんです!」

 嘘をずらずらと書けるほど器用な人間ではないので、必然的に手紙は短くなる。
 手のかかる弟子だったという自覚がある。
他にも数人、弟子がいたが最古参ミルテよりも先に巣だっていった。

「こ、これ以上お師匠様に迷惑をかけられません!」

「すでに迷惑だ」

 ですよねー。
 ミルテはまた床へと崩れ落ちる。
 その姿を横目で見ながら、数秒ほど考えた後に魔法で浮遊物をすべて転移させた。
 場所は泉の前に――だと関係ないものがとるかもしれないので先ほどの茶屋の前へ。
 世話焼きの老婆がいる店だ、なんとかしてくれるだろう。
 問題はこの泉だ。
あれだけ噂になったのだ、これからだって来る人間はどう止めようと来る。
 騒がしい毎日は魔法使いにとって毒にしかならない。
 この弟子がそれに耐えられるはずがないのだ。

「荷物をまとめろ」

「へ?」

「へ? じゃない。ここの入口は永久に閉じておく。人間が入れないようにな」

「え、ええっそんなことしたら私が住めなくなりますよ!」

 それは、困る。
 魔法使いの住み処は一生涯にひとつ。
その場所をなくせば人間世界を移ろって生活せねばならない。
長生きで若い姿のままずっと外見の変わらない魔法使いは人間の世界では一ヶ所に留まることはできないのだ。
 だからこそ永住の住み処が必要だが、隙間の世界はそう多くない。
 気に入らないから別の場所に、は他の魔法使いに迷惑がかかるので暗黙の了解のなかで決められたこと。
 ここが住めなくなればミルテはどこに住めばいいのか。

「仕方ないだろ。私の住み処に出戻りだ」

「え、ええ、えええ!?」

「おまえがいた部屋はそのままにしてあるし、それでいいだろ。なんだ不満か」

「い、いや逆に! 逆にいいんですか!?」

 迷惑をかけた上に、さらに迷惑をかける。

「いまさらだ。はやくしろ」

 ふん、と不機嫌に言うとまた目深にフードを被る。
 しかしその口元は――



 しかして、一番弟子は一ヶ月で師の家に出戻ったのであった。







 ◇◇◇

 これで疲れる日々がようやく終わる。
 本来は大きな紺の羽をもつ鳥である使い魔の少女は帰ってきた主人とその弟子へとお茶を淹れながらため息をついた。
 馬鹿な子ほど可愛いとは昔からよく言ったもの。
 主人の最古参の弟子である彼女は他の弟子と比べてそれはもう端から見てもすぐわかるほど可愛がられて育てられた。
 可愛がりすぎていつまでも手元に置いてしまうほどに。

(固執しだすと止められませんね、マスター)

 本来ならもっと早く独り立ちできたはずなのに主人があれやこれやと言って先伸ばしにしていた。
 しかし主人は本人の前ではそういう所は見せない。
 あくまでも厳しいお師匠様であろうとした。

(どこまでも偏屈ですね、マスター)

 彼女が消えた一日目からどこかそわそわと落ち着かなくなった主人に手紙を書くように勧めたのは少女である。
 心配なら心配だと言えばいいのに。
 見せてもらった手紙は声には出せないような、それこそ恋文のように濃い内容が綴られていた。
 いつもこうならいいのに。
 鈍感な彼女が主人の気持ちがわからないのも問題だが。
 書くことがないと嘆く彼女に少ない文章で返せばいいと助言した。
 主人の性格を考慮した上での配慮である。
 弟子の彼女が揉め事に巻き込まれているとわかってもなにも言わなかったのは面倒だったのと堪え性のない主人のことなので少しすれば自分から動くだろうと思ったから。
 しかし、誤算だった。
 毎日毎日手紙を書くなど。
 そして返事を欲するなど。
 なかなかに意固地になった主人は手紙に感情を叩きつけることによって会いたい欲を昇華させていたようである。
 弟子の彼女も心配をかけられないと使い魔が助言した通りの内容しか書いていないようだった。
 おかげでこの一ヶ月は往復でいつもより飛びすぎて肩が痛い。
 いい加減に疲れるし、弟子の彼女も心配になってきたので主人をせっついて迎えに行かせたのである。

(面倒な人たちですね、マスター)

 二つのカップを盆に乗せ、扉を三回ノックする。
 返事はないがいつものことなのでそのまま入った。
 そして一歩進んだその足を引っ込めて扉を閉めた。
 せっかく淹れたお茶はやはり冷めていく運命らしい。
 視線のその先、肩を寄せあって眠る彼ら。

(素直ではありませんね、マスター)

 少女はあきれ果ててその場を静かに離れたのである。

 

 


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