の箸をりませんか?


 

 私の箸がなくなった。


 私の箸が消えたのは四時限目がおわったあと、お昼を食べようとした時である。
 本日のお昼ごはんはうっかり寝坊したため、学校の売店で購入したお弁当だ。
 売店で二時限目の休み時間までに先払いで予約をし、昼休みになったら取りにいく。そういうシステムである。
 選べる種類はそうないが冬場でもほのかに温かだし、直前に声を大にして取り合うようなパンを買うよりもよほど安全に手に入れられるので何度も利用していた。
 今日も唐揚げ弁当がいいなあと思いながらも一番安い(二百五十円)おにぎり弁当を手に教室に戻ってきたわけなのですが。

「ない」

 売店に行く前に机の上に出していた箸がない。私の箸がない。
 ミシンで乱雑に縫った赤い水玉模様の箸入れがない。
 おかしいなと机の中や外を見てみるが落ちていない。

「どうしたん」

「箸がない。お弁当冷めちゃうよう」

「そこかい」

 そこですとも。作りたてがいいに決まってるじゃないですか。
 話しかけてきた友人にこうこう、こうした箸入れを見なかったかと聞いてみるが首を横に振られた。がっくり。
 私の箸。My箸。ようやく自分にしっくりくる箸を見つけたのに。
 しかしまあ、とにかくいまはお弁当を食べるのが先だ。素手でウインナーを食べるのはやめときたい。

「売店で割り箸もらってくる」

「あ、ちょい待て。
那知(なち)が出ていったあとに」

 
不二越(ふじこし)がふらふらしてて、その机にぶつかってた。

 その言葉に目を丸くして、ああそうかと頷いた。
 私の前の席の、軽く押したらひっくり返りそうなほどひょろ長で低血圧そうな不二越くんならありえそうなことである。
 不二越くんは教室移動の時はいつも斜めかけのバッグを持ち歩いていたような。
 もしかしたらもしかするかもな。
 一応ぐるりと見渡してみるが教室で食べるのは決まったメンバーで彼の姿は見えない。しかし彼がいそうな場所はなんとなくだが把握している。

「先に行って食べててー」

 会えなかったら会えなかった時だし。売店に行けばいいのだ。
 片手をひらひらと上げる友人に一声かけてお弁当を持って教室を出た。






 教室を出たのはそこ三分くらい前である。その証拠にまだお弁当の底に手をやると温かい。
 しかし、しかしである。

「アマゾン…?」

 ネットではなく熱帯のほう。

 理科室などがある特別棟へと足を踏み入れたはずが、耳鳴りとともにすさまじい謎の閃光で目をつむったまま三歩。三歩だ。
 驚いて目を開ければなんだこの未開の地。グン〇ーか。
 日本ではまず見たことのないうねった木々と聞いたことのないような花が咲き乱れている。どこか遠くでは鳩ではなさそうな鳥の声。クルッポーではなくギョエーギョエーと。
 あっけにとられてしまったが、夢ではないか色んなものに触れてみたり叩いてみたり。いや、それより暑い。じめじめする。冬服の上に着ていたカーディガンを脱いでみた。

「えーと、なんで?」

 とにかくこの季候だとすぐにお弁当が傷むからお箸が必要だ。そうだ、箸を探しに来たんだ。
 アマゾンがなんだ。変な声がなんだ。私には箸が必要なんだ。
 ぐっと握りこむと軟弱なプラスチックのお弁当がべこりとへこむ。

「とにかく歩くか」

 少し歩くだけでゴム底の室内靴が粘っこい土で汚れていく。これはあとで洗うのに苦労しそうである。
 そう足下に目を落として思っていると、突然また視界が変わっていた。

「ヨーロピアン…?」

 珈琲より紅茶派です。そうではない。

 まるでどこかの映画のセットのようだ。セレブ御用達のホテルの中身はこうなのかもしれない。
 壁には前衛的な絵にそれよりも高そうな装飾の多い額縁がかけられ、ふかふかの赤い絨毯が床に敷き詰められている。
 汚れると即座にそう考えて泥だらけの靴を脱いで靴下で絨毯を踏む。これはいい。これはすごい。なんていう踏み心地だろう。
 くまがふんわり洗濯物に飛び込んでありえないほど沈むCMが頭の中に流れた。まさにあれだ。
 はしゃいでぐるぐると豪奢な机のまわりを何周か歩いてようやく気づいた。

「なにやってんだ、私…」

 それどころではない。
 おそるおそる机にお弁当を置き、靴は逆さにして床へ。ゆるみかけていたカーディガンを腰に巻き直しながら端っこにあったドアを見つけた。
 これを開けたらまた違う景色になったりするのだろうか。いい加減に箸を見つけたい。お弁当が冷めそうだ。
 お弁当を持ち直し、空いてるほうの手でドアを開けてみる。

「廊下だ」

 廊下だった。予想外に予想内だった。騙された気分である。
 学校の廊下ではなく、部屋と同様の絨毯の敷き詰められた廊下だ。
 なんてことだろう。はめられた気がする。誰にはめられたわけではないがなんとなく恥ずかしくて顔を下に向ける。
 そういえば靴を置いたままだった。踏み心地がよくてそのまま出てきてしまったと元の部屋へとドアを開ければ。

「日本…なのかな?」

 畳だ。畳の上に着地した。

 しかしどことなく日本昔話風の家屋である。
 そう広くない部屋の真ん中にはテレビでしかお目にかかったことのない囲炉裏というのか、木の床の部分を真四角に切り取って灰を集めたところにはぐつぐつといい感じに煮えているこれまた古そうな形のお鍋が吊るされており。
 どうも人の気配はないが、それはさっきからそうだ。火元から離れるなんて危ないが、おそらく私が気にするべきはそこではない。

「靴、どうしようか」

 さっきの場所に戻れる気がしない。
 振り返ればあの重そうなドアは消えていた。この風景にあのドアがついていればそれはそれで変なのだが。
 囲炉裏には長い箸が刺さっていた。
 そうだ、箸だ。私の箸を探しているのだ。
 もしかして不二越くんのバッグに入り込んでしまったかもしれない私の箸を。
 部屋の中を観察してまわると、藁で編んだのだろう草履が引っかけてあった。気は引けたが、靴がないまま外には出れない。かわりにカーディガンを畳んでその場に置いておいた。物々交換でどうかお願いします。
 靴下を脱いで草履を素足のままに履いてみる。うん、よし。思ったより歩きやすくていい感じだ。
 気を引き締めよう。今度は海の上かもしれない。
 さて、次はどうなるのかと引き戸を勢いよく開いた。






 なんともいえない。
 なんともいえない。
 大事なことだからもう一回言おうか。

「なんともいえない」

「ええと…どうしたの那智さん」

 ガラリと固い引き戸を引き戸を開けた私は耳鳴りとともにすさまじい閃光に目をとじてしまい。
 そのまま三歩、進めばそこは。
 キンモクセイの香りがたちこめる、特別棟の裏側。家庭科室の前の、洗濯スペース。
 知る人ぞ知る、体育館裏よりも人の来ない場所。私がそれを知っているのは入学してからしばらく、一人暮らしなのに壊れてしまった洗濯機のかわりに一時の間だけだが先生の好意で使わせてもらっていたからだ。
 あと、そこでよく昼寝をしている不二越くんのことも。
 目を離したらどこかにふらふらと消えてしまう彼は、そのどこにでもいそうな存在感と反比例して有名人だ。
 さっきまでいたはずなのにいない。そこで本を読んでなかったっけ。
 体育でボールを追ったままいなくなったと思いきや放課後にひょっこり顔を出したり。

 彼いわく、道に迷っていたと。

 最初は先生も周囲もなにかと言っていたが、本人の素行が悪いわけでもなく。ただ振り返ったらいつの間にかいない、よくわからない人。
 度が過ぎるほどに方向音痴だということで最近はいなくても「またか」で済まされている。
 今日だって彼がここにいるのかどうかだってほぼ賭けだった。いたけど。
 いたけど、私がここまで来るまでどれだけ大変だったことか。
 アマゾンで靴が汚れ、ヨーロピアンな絨毯に心奪われ、古めかしい日本家屋でカーディガンを物々交換してきたのだ。
 その証拠にこの微妙な寒さで上着もなくセーラー服に素足に草履である。
 意味がわからない。なんだこの格好。バランスが悪いったら。

「なんともいえない!」

「えええ…」

 とにかく靴下を履き直した。
 その際、私は前のめりになってけんけんぱと片足で彼の伸ばした足まで近づいて。

 近づいて、気づいた。パッと見だと、わからない。

 彼の上履きに付着した粘っこい土の汚れに。
 なんとなく、これ、既視感があるんですけど。

「ねえ、不二越くん」

 もしかしてアマゾンに行っていませんでしたか。
 なんて聞けるものなのか。
 顔を上げた彼をまじまじと見た私は、少しだけ考えて。
 当初の問いを口にした。


「私の箸を知りませんか?」



 ◇ ◇ ◇


 うっかり。うっかりだったんだ。持ってくる気はなかったんだ。


 バッグの中には赤い水玉模様の細長いキルティングが入っていた。
 気づいたのはいつものように、時空の乱れに入り込んだあと。世界や時代がごちゃまぜで、人の気配などしない、どこかの狭間。
 血筋なのか、そういう体質なのか。この事態に陥るのは生まれてからずっと日常茶飯事で驚くこともなくなった。
 本の中の主人公たちのようになにか大切なものを探さないといけないわけでも、凶悪な敵と戦わなければならないわけでもない。
 こういう時は、ただただ心を強く持って帰りたい場所や執着するものを思い浮かべていればいい。
 そうすればいつの間にか元の場所まで導いてくれる。
 いままでいた場所、行きたかった場所。話していた人物。話そうとした人物。
 この箸入れは、後ろに座る女の子のものだ。
 昨日は妙な場所に落ちたものだから夜通し暗闇を歩かされ、寝不足でついふらふらとしてその子の机を動かしてしまって。
 たぶん、その時に入ったんだ。机の上に置いてあったから、するっとバッグの中に。

「間に合うかな」

 こういう場所に入り込むと、なかなか脱け出せない。彼女がお弁当を食べる前に戻ってこれる可能性はあまり高くない。
 早々に昼休みが終わるまでに返せる可能性は捨てた。おそらく、それで怒る子でもない。
 いきなり戻ってきても、人の目に触れない場所。
 そこでよく話すようになった那智さんは、しっかりしているようでどことなく浮き世離れしている。
 勉強は奨学生だから並みよりできるみたいだけど、なぜか妙なところにこだわりがあるようで。
 洗濯機が壊れた時だって、寮にある全自動洗濯機を使わせてもらえばいいのに「二層式を使いたい」とわざわざここの洗濯機を使っていたし。

 でも、笑顔が可愛い子。

 実は、ひっそりいいなと思っている子。

「会いたいなあ」

 多分、これが駄目だったんだ。引き金になってしまったんだ。
 僕はこの時に、心に彼女のことを強く思ってしまったから。
 帰るのではなく、引き寄せてしまったんだ。


「私の箸を知りませんか?」


 帰ってくるためのその行為は“箸”という渡しのものがあったからなのか。
 それは、これは偶然なのか。彼女はあの世界の名残を持ってきてしまった。自覚はないようだけど。
 一度、あの空間に入る癖がつくともう諦めるしかない。
 僕と彼女の間で繋がったものは、修復できるものなのか。






 その行方は、知らないまま。

 


小説家に  ろうver

 

 

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